読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

「伊勢集」とコレクション日本歌人選023 中島輝賢『伊勢』(笠間書院 2011)

王朝和歌の世界を決定づけた三代集第一の女性歌人小野小町ではなく伊勢。小野小町謡曲ほか様々な伝説として現代にまで残っているが、伊勢は伝説になるには輝かしすぎるほどの男性遍歴と子を残し、現実の裏付けのある恋歌と哀歌を残した。同時代歌人との交流、娘中務の存在、そのほかに本歌取りや後世の影響歌を考えると、日本の文芸史のなかでももっと取り上げられていい存在であるということが、今回伊勢集とその近辺の著作を読みすすめていくことで了解できた。
宇多天皇の女御温子に女房として仕えた伊勢は、まず温子の弟藤原仲平と関係を結んだがほどなく破綻、その後仲平の兄時平や平貞文との歌の贈答を核とした交際を経て、主人である温子の夫である宇多天皇の寵愛を得て皇子をもうけるが、十三歳でその子を亡くし、その翌年ごろから宇多天皇の息子である敦慶親王からの寵愛を受け、娘中務を産む。ときに数え39歳。
現代の平凡な倫理観からは到底容認できないような関係ではあるのだが、当時の最上層階級の色好みを良しとする価値観と、姻戚関係で家の栄達繁栄を願う貴族層の価値観のなかで、自らの身に降って下りてきた運命に、歌とともにこの上なく雅に上品に処することのできた人として伊勢がいる。
仕えていた温子や女房仲間との関係も酷く拗らせることなく、かえって温和に乗り切っているところに、伊勢個人の温和な人格と、温子がつくりあげていた後宮の環境の良さが思い浮かぶ。後代の源氏物語の情念の世界に至らずに済んだ一種ユートピア的世界を作り上げつつ、自分も中心人物として生きたのが伊勢という歌人なのだと思う。
ユートピアを作り上げるには、相互の関係性を装飾し、よき方向に増殖増幅させる含みのある表現が相応しい。直情で世界を凍りつかせるのではなく、曖昧ではあるが展開の余地を残し、あとの振舞いを誘う匂やかさ。風流心を損なわず、遊びと真心の行く先をスパイスを利かせながらも広く準備するふくよかさ。そのような空気感を感じながら、こちらもおっとりとした心を残しながら、張りのある伊勢の歌を読むのが、向き合う姿勢としてはよいのではないかと現時点では思っている。

風流を解する人たちの世界の礼儀として、感情も表現もいやらしくならない限界のところまで盛ってみていますので、あなたもお付き合い願います、という心を読みつつ歌を読む心意気が現代人にも求められているであろう。

宵のまに身を投げはつる夏虫は燃えてや人に逢ふと聞きけむ

夏虫の身をも惜しまで魂(たま)しあらば我もまねばむ人目もる身ぞ

すむことのかたかるべきに濁り江のこひぢに影のぬれぬべらなり

和泉式部などとは違った、受け身の凄味というものが伊勢には感じられる。攻撃よりも受け身で見せられるのが芸道の凄さである。

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【付箋箇所】
[伊勢集(明治書院和歌文学大系18) 付箋歌]
8, 9, 104, 172, 182, 206, 218, 233, 288, 294, 301, 372, 383, 429, 458, 462475, 478, 483

コレクション日本歌人選023 中島輝賢『伊勢』
19, 20, 27, 35, 40, 69, 77, 83, 92, 94, 124, 126


伊勢
872? - 938以降