読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

塚本邦雄『珠玉百歌仙』(講談社文芸文庫 2015, 毎日新聞社 1979)

人生は短く芸術は長いとはよく耳にする言葉だが、芸術は非情だ。誰にでも開かれているようでいても、誰もが可能で誰もが到達できる、というわけではない。時代によって、個々の鑑賞者の資質によって、選ばれ称賛される作品に違いは出てくるであろうが、その趣味判断を超えて、時代に即した名歌の傾向というものは、複数の作品を選択することで、自ずから一定の水準に落ち着いてくる。

本書、塚本邦雄の『珠玉百歌仙』は、記紀歌謡から明治の言文一致運動にいたるまでの、約十二世紀、112の歌人の112の歌によって、もっとも日本的な和歌の姿の変遷を、一刊の著作として拾いあげ書きとどめている。

7世紀中盤におそらく万葉仮名で書きとめられたであろう斉明天皇の歌から、聖武天皇在原業平を隔てる8~9世紀の中盤100年の間にあった仮名文字と女房文学環境の誕生を経て、古今和歌集から新古今和歌集への新風受容と革新の後、歌作の頂点を窮めた和歌の歴史は、室町の「玉葉」「風雅」の北朝勅撰和歌集で間歇的に彩りを取り戻すものの、貴族社会の没落、武家社会の隆興とともに衰退の一途をたどることとなる。さらに武家さえ地位が墜ち、俗なる商家が隆盛を誇ることになる江戸期にあっては、いかに伝統の重みを持つ和歌の世界にあっても、文芸の主流を維持するような力を持った歌人も作品も質量ともに現れることはなかった。

本書に収められた歌人は以下112名(読み人しらず2首を含む)。

斉明天皇, 穂積皇子, 湯原王, 大伴家持, 聖武天皇, 読人知らず, 在原業平, 紀友則, 小野小町, 読人知らず, 菅原道真, 紀貫之, 伊勢, 壬生忠岑, 元良親王, 凡河内躬恆, 蝉丸, 下野雄宗, 大輔, 源順, 小大君, 斎宮女御徽子, 平兼盛, 藤原義孝, 曾根好忠, 藤原道信, 和泉式部, 紫式部, 能因, 出羽辨, 相模, 源俊頼, 待賢門院安芸, 源頼政, 藤原俊成, 西行, 小侍従, 藤原師長, 鴨長明, 式子内親王, 慈円, 藤原家隆, 藤原定家, 藤原良経, 藤原雅経, 俊成卿女, 後鳥羽院, 藤原秀能, 後鳥羽院宮内卿, 源実朝, 順徳院, 藤原為家, 藤原光俊, 他阿, 仏国国師, 飛鳥井雅有, 亀山院, 西園寺実兼, 藤原為子, 冷泉為相, 伏見院, 永福門院, 惟宗光吉, 夢窓国師, 慈道親王, 吉田兼好, 後二條院, 頓阿, 公順, 二條為定, 花園院, 宗良親王, 光厳院, 後崇光院, 清巌正徹, 心敬, 飛鳥井雅親, 後花園天皇, 飯尾宗祇, 太田道灌, 後土御門院, 牡丹花肖柏, 後柏原院, 足利義尚, 木下長嘯子, 下河辺長流, 賀茂真淵, 田安宗武, 楫取魚彦, 小沢蘆庵, 本居宣長, 上田秋成, 後桜町天皇, 良寛, 香川景樹, 光格天皇, 太田垣蓮月, 大隈言道, 八田知紀, 井上文雄, 平賀元義, 野村望東尼, 加納諸平, 橘曙覧, 久貝正典, 安藤野雁, 与謝野礼厳, 海上胤平, 丸山作楽, 天田愚庵, 落合直文, 森鴎外,


私が見るに、変節点は、聖武天皇在原業平のあいだの仮名の誕生、貴族から武家への移行が進む源俊頼藤原俊成から西行や定家への新感覚への推移、貴族社会の終焉を決定付けた新古今和歌集からその終焉を完結させた「玉葉」「風雅」の北朝勅撰和歌集の成立、飯尾宗祇による連歌の確立、江戸期の文芸の世俗化、さらに明治の言文一致と西欧文化流入による歌われるものの刷新というように、一定の期間をおいて順次現れている。

万葉から古今集へ、古今集から新古今集へ、新古今集から先は、明治の正岡子規を待つまでは(連歌俳諧が一世を風靡し、流行したということを別にすれば)和歌界の景色が一変するということはなかった。しかしその無風状態、不毛状態を反省を込ながら批判的によく示す詞華集もまた現れなかった。

明治期の正岡子規の万葉称揚古今批判についても、古今集順守の旧派に対抗するためのポジショントーク以上ではなく、歴史的な視点に欠けている。昭和後期にものされた本書は、塚本邦雄による新古今和歌集に対する傾倒はほぼ前面に出ることはなく、和歌の歴史1200年間の推移が概観できるようになっていて、長期スパンで日本の詩歌の状況を体感できるほとんど無二の詞華集として存在している。

室町以降の衰退の様子が最終三分の一を占めているところが、読みすすめる勢いをそぐことは否めないが、その衰退が、明治以降の転換にいかに繋がっていくかを確認することが可能なのも、本書の長期視点からの俯瞰によるところが大きい。作品と個々の歌人主体で和歌の歴史とその時代時代の代表作と作品傾向が感得できるのは、古典導入の一冊としてはすばらしい出来栄えであると思う。

 

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塚本邦雄
1920 - 2005