後鳥羽院をして理想の歌の姿だと言わしめた藤原俊成の歌であるが、実際に読んでみるとどの辺に俊成の特徴があるのかということはなかなか指摘しづらい。薫り高く華麗な読みぶりで、華やかであるとともに軽やかさがあるところに今なお新鮮味を感じさせるが、強い個性の主張が歌のことばからはにおって来ないので、俊成の歌人像を自分なりに掴むことはかなり難しい。
息子定家によると、俊成は苦吟難吟するタイプの歌人であったようなのだが、時間をかけ苦労してつくられた歌からは、重さも硬さも丁寧に取り除かれていて、心地よい詠みぶりの歌ことばが佇まいよく連ねられている。
しかも、91歳で亡くなる直前まで歌作も判詞も衰えを感じさせることなく、高い質の仕事を生みつづけていたのだから、驚異的な人物であるのは間違いないのだが、人物的にも歌作の方向性でも優れたバランス感覚をもち、調和のとれた世界を創り上げているがために、その稀有な存在の凄まじさになかなか思い及ばないのが実情である。
強いていえば、崇徳院、西行、後鳥羽院、定家、良経、慈円、式子内親王などの際立つ個性の持ち主のなかで、それらの人々が共通して持っている歌作の能力の優れた地の部分を、実作者であるとともに優れた批評家としての才能で磨き上げ得た存在が、藤原俊成という人物なのであろう。
そして、その万人に理解され受容されやすい優れた資質が、「歌の家」御子左家の礎を築きあげていったのだと思う。
「釈阿は、やさしく艶に、心も深く、あはれなるところもありき。殊に愚意に庶機する姿なり」『後鳥羽院御口伝』
歌が詠われる席にはかならず必要とされた俊成は、明晰なまま長寿を全うしたことも手伝って、『新古今和歌集』という和歌のひとつの頂上を準備した大きな立役者となった。あまり目立つことはなくてもしっかりと存在を主張していて、やわらかな味わいで後味よく仕上げているところに、俊成の歌人としての真骨頂があるのであろう。
思ひあまりそなたの空をながむれば霞を分けて春雨ぞ降る
世の中よ道こそなけれ思ひ入る山の奥にも鹿ぞ鳴くなる
世の中を思ひつらねてながむればむなしき空に消ゆる白雲
なかば放心した体で自然情景を眺めている姿に、運命甘受の肯定と陶酔の佇まいが薫っている。俊成の歌では、物事をひとつ越えたところでの陶然とした時の姿に出会えることが度々ある。
【付箋箇所】
[長秋詠藻 付箋歌](明治書院和歌文学大系22『長秋詠藻・俊忠集』)
8, 9 38, 39, 44, 53, 55, 56, 62, 77, 88, 111, 133, 145, 146, 161, 180, 197, 200, 224, 228, 245, 246, 261, 273, 327, 362, 432, 460, 461, 467, 504, 557, 558, 577, 695, 704, 724756807
[俊忠集 付箋歌]※俊忠は俊成の父
20, 30, 39, 40,
コレクション日本歌人選063 渡邉裕美子『藤原俊成』
9, 19, 20, 22, 24, 28, 32, 35, 56, 60, 80, 82, 86, 111
藤原俊成
1114 - 1204
渡邉裕美子
1961 -