世を治める立場にあった天皇・上皇の和歌の歌いぶりは臣下や女官たち地下の者の歌とは構えが異なり「帝王振り」などとも呼ばれる。国を思い民を思う視野の大きさと、なにものにも疎外されない立場からくる鷹揚さと威厳が、歌にもあらわれる。「帝王振り」としていちばんよく挙げられるのは次の歌。
我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹け
和歌をとおして交流もあった実朝が暗殺された1219年から2年後の1221年に鎌倉幕府討伐の兵を挙げてわずかひと月で敗れた承久の乱ののちに配流された隠岐の島のその海に向けて謳いあげた歌。海に向けての哀願ととる解釈もあるようだが、選択されたことばが放つのは力強さや太さといったイメージ。こちらの歌に見られる自然をも統べようとする威厳あふれる歌も魅力的ではあるが、本書で紹介解説鑑賞された37首と鑑賞のなかで取りあげられた関連歌をとおして読んでみたところ、後鳥羽院に関しては、おおらかでふところの深さと余裕を感じさせてくれるような歌、歌で優雅に遊んでいるような歌により魅力を感じた。新古今和歌集の技巧を凝らした歌人たちの歌とはまた違った味わい、王朝和歌のサロン内でもっとも自由にふるまうことの許された立場にいたことでよりいっそう強まった高貴な色っぽさ艶っぽさがかおる歌いぶりがなんとも不思議にこころに沁みる。
何となくなぐさむやとて来れども時雨ぞまさる冬の山里
ほのぼのと春こそ空に来にけらし天の香具山霞たなびく
見わたせば山もと霞む水無瀬川夕べは秋となに思ひけむ
人も愛し人も恨めしあぢきなく世を思うゆゑに物思う身は
巻末に著者吉野朋美の解説「帝王後鳥羽院とその和歌」と、丸谷才一の著作『後鳥羽院』からの抜粋「宮廷文化と政治と文学」もあって、こちらもなかなか読ませる。
参考: