塚本邦雄の歌論・短詩系文学論における代表作。1950~1960年代、前衛短歌運動が最も盛んだった時期の当事者による批評的営為。短詩型文学を否定した桑原武夫の『第二芸術』 (1946) へ苦い思いを抱き、口語自由詩の作者であり短詩系文学の理論家でもあった大岡信との表現形式と韻律に関する論争を経て、「短歌という定型短詩に、幻を視る以外に何の使命があろう」という根本方針、
塚本邦雄がよく使う言葉でいえばクレドにいたりつくまでの軌跡を辿ることができる、文学史的にも貴重な一冊。
20年間の時の重みということもあるのだが、当時まだ商社の経理部に勤務しながらの歌作と批評活動を行っていたことを考えると、やはり驚かざるを得ない。短詩系を選んだ人々で第一線で活躍していた人たちの生活のための仕事と作家としての仕事の両立ぶりには凄まじいものがある。岡井隆しかり、吉本隆明しかり。大岡信も本書に収録されている論争時点では読売新聞社外報部記者であった。詩の言葉に深く打たれてしまった人の苦悶格闘と時に刺し貫く痙攣的な美的体験は、摸倣を誘いつつ厳しい選別意識にあふれている。
ついさっき読んでいたシオランの言葉に次のものがあった。
不幸は受け身の、忍従の状態だが、呪いは逆方向ながらある選抜が行われたことを示し、使命とか内的な力とかいう観念を想定させる。そしてそれには不幸には含まれていないものなのである。
(E・M・シオラン『誕生の災厄』より 訳:出口裕弘)
呪いと祝いには通路が開かれている。パッション、受難と情熱は共存している。最高度の受動は最高度の能動へと反転する。
大岡信は西欧近現代詩からの影響が大きく口語自由詩の作り手となり、塚本邦雄は古今和歌集を中心に和歌と近代短歌の影響が強く前衛短歌運動の旗手となった。ともに受動から能動への反転を身をもって生きた人物であるが、選択した詩型の違いもあって本書第Ⅲ部に収められた論争は最終的には噛み合わずに終わってしまっている。歴史的な生命、詩型の命運、力の及ぶ範囲について、より自覚的でより厳しい立場から立論しているのは塚本邦雄のほうで、論争以前の論考においても、論争以後の論考においても、ジャンルとしてのピークはとうの昔に過ぎさっていることを踏まえつつ、最も古い詩型としての和歌短歌を、ほかの散文詩歌のジャンルの各作り手が新たに語りまた詠い終えたところで、なお詠うことに意味あるジャンルとして一貫して規定している。現実の反映としての溢れ出た歌は、原初においては長歌に対する反歌としてのしての反歌という性格も併せて持っていたということを論考「反・反歌」で指摘しつつ、現代において短歌が担うべき役割と進むべき方向性を書きしるした言葉は記憶に残る鮮烈さを持っている。
短歌は生ける現実の反歌である。そしてさらにそれは幽、明の境に立って幽たる死のかなたの過去に、明たる現(うつ)つの彼方の末来に、はげしく引かれながら、反歌に反(かえ)すべき、もう一つの反歌をもとめつづける、非有の詩歌であろう。
マイナスにマイナスをかけた後に導かれるプラスはもとよりあるプラスとは根本的に異なるということをしきりに主張していた塚本邦雄の真意が、上記引用には見事に埋め込まれ、異様な輝きを放っているように思える。現実の反歌としての歌への屈折を込めた応答としての歌という二重構造のうちに現われる像は、現実をも変容させる幻となり、非存在と存在をつかのま共存させる。歌のことばは愛誦され、そのつかのまの美が反復されることで、存在しない現実もが存在する現実を存在させる文化をかたちづくる。
見渡せば花も紅葉もなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ
塚本邦雄も好んだ定家の歌を知っていることは、塚本邦雄のクレド「短歌という定型短詩に、幻を視る以外に何の使命があろう」を無意識に受け入れていることにほぼ等しい。存在しない花と紅葉は幻として現実と共存しているがゆえに美しい。
【付箋箇所】
18, 27, 30, 33, 49, 76, 79, 80, 87, 89, 95, 105, 106, 110, 111, 116, 118, 120, 123, 125, 133, 145, 146, 148, 150, 162, 202, 210, 215, 249, 260, 272
目次:
Ⅰ
短歌における「現代」
歌の回復
反・反歌
荊冠詩型 明日の短歌の使命と宿命についてのアジテーション
石胎の馬 前衛短歌批判への一考察
零の遺産
牡蠣は棘を
Ⅱ
イコンの橘 現代短歌における「新」の意味
見えないもの
流れ矢 ある綜合制作論
山蚕の裔 現代短歌にとって美とは何か
無言歌について 定型抒情詩の問題
生誕と死 現代短歌の抒情
太初に譬喩あり
Ⅲ
ガリヴァーへの献詞 魂のレアリスムを
遺言について 新しい調べとは
ただこれだけの唄 方法論争展開のために
Ⅳ
ミノタウロスの微笑 佐佐木幸綱小論
転ぶ麒麟に関する断簡 歌集『群黎』に寄す
一人のコロス 最愛の敵、岡井隆に
予見
還埃及記序 『土地よ、痛みを負え』によせる反雅歌
窪田空穂小論
不死の鳩 斎藤史覚書
若き死者への手紙 亡き友杉原一司に
詩の死 故浜田到頌
幻想の結社『日本歌人』
V
椿花変 蛇笏句集『椿花集』論
雑色雑光 耕衣句集『悪霊』覚書
悪筆の栄え 耕衣墨蹟に触れて
膠と雪 赤尾兜子句集『虚像』論 または変革期の兇器としての闘志
啓蒙の専制 堀葦男小論
塚本邦雄
1920 - 2005
大岡信
1931 - 2017