読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

福田昇八訳 エドマンド・スペンサー『韻文訳 妖精の女王』(原著 巻1~6 1596, 巻七の無常二篇は死後出版 1609, 九州大学出版会 2016)

古典作品には最初に触れて欲しい年齢層というものは間違いなくあって、本書もできることであれば、十代のうちのどこかで出会っていたほうがよい古典作品に挙げられる。訳者のあとがきにも日本の中高生がスペンサーの詩を気軽に朗誦できるようにしたいという願いが書かれているので、早く出会うに越したことはない。

日本語圏で英詩を読みはじめるにはまず訳書が必要で、『妖精の女王』の韻文訳が刊行されるのは本書がはじめてというのだから、いままで題名に興味を持っていても実際に詩作品として日本語で読めるようになったのはつい最近のことだ。しかし上下巻で三万三千行もあって価格が税抜きで三万三千円というのではなかなか手が出ない。一行一円と考えれば高くないような気もしてくるのだが、それでも気軽に買って読みすすめられるような商品ではない。書店に置いて売れる体裁の本ではないので、ぜひ図書館や学校の図書室に置いておいて欲しいものだ。若いうちに読む人が増えれば、なにかがすこしだけ変わるかもしれない。

質量ともに英文学の最高峰とも言われる『妖精の女王』。ただ、日本語韻文で読みすすめてその良さを感じ取れるかどうかというとはなはだあやしい。登場人物が大変多く内容も錯綜しているため、特に初読では筋を読み取ることも難しく、またアレゴリーを多用していることもあって、登場人物の名前の意味合いを注を参考にしながら性格付けや行動の顛末を考えながら読んでいく必要があり、なかなか没入できない。心理的描写は型通りの付けたりのようにしか現れないため、感情移入ができるようなリアリズム作品ではない。スペンサーが影響を受けて『妖精の女王』の中の詩句に取り込んでいるイタリアの先行作品、タッソの『エルサレム解放』やアリオストの『狂えるオルランド』のほうが情念的なものは多く含まれていて、人物像が印象に残りやすい。『妖精の女王』のほうは、アレゴリーとしての描かれ方や、くりかえされる戦闘の描き方に特徴があって、どちらかというと詩行にあらわれる乾いた技巧の上手さのようなものが印象として残る。リアリティを背景とした情緒に訴えかける動的で可変的な世界ではなく、静的で確固たる秩序体系を浮かび上がらせるような世界を華麗な詩文で描かれているようであった。

何たる恥か(とアーティガル)
あなたほど綺麗な人が
誓いを破り恋人を
替えたとの非難を受けて
穢れなき美を汚すとは。
称賛名誉に勝るもの
世にあろうか、名誉以上に
光り輝くものあるか
太陽に勝るその輝きに。
(第五巻「アーティガルの正義物語」第11篇62)

読み通してから、拾い読みするほうが楽しい大作。全体のストーリーよりも詩句の表現技巧に目を見張るものがあると思う。

 

目次:
ローリーへの手紙
第1巻 赤十字騎士の神聖物語
第2巻 ガイアン卿の節制物語
第3巻 ブリトマートの貞節物語
第4巻 キャンベルとテラモンドの友情物語
第5巻 アーティガルの正義物語
第6巻 キャリドア卿の礼節物語
第7巻 無常二篇 不変物語

kup.or.jp

エドマンド・スペンサー
1552 - 1599
福田昇八
1933 -