読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

粟津則雄『ダンテ地獄篇精読』(筑摩書房 1988)

山川丙三郎の文語訳(1914-1922)ダンテ『神曲』を導きの糸として取り入れていたのは大江健三郎の代表作のひとつ『懐かしい年への手紙』(1987)。本書はその翌年に出版された地獄篇のみの読み解き本で、寿岳文章訳(1974-76)の訳業に大きくインスパイアされている。当時はダンテがよく読まれるような時代背景があったのだろうか、こういった論ずる対象を極めて限定した批評作品は、いまでは単行本で出版するなんてなかなかないことであろう。他の追随を許さない異能の人たる佐藤優の読み解き本であったり、今は亡き宮沢章夫マルクス横光利一の読み込み本などの、すこし変則的な作品読解はあっても、詩人であり文学者でもあるような人の手になるけれん味のないエッセイ単行本はあまりお目にかからない。文章も時代を感じさせる馥郁たるもので、寿岳文章の訳業と相まって、ダンテ『神曲』の素晴らしい味わいを伝えてくれている。私が『神曲』を読んだのは平川祐弘訳で、つい最近は須賀敦子藤谷道夫の師弟共訳の地獄篇を読んで、いずれも不満はないものであったのだが、本書を読んでいるうちに寿岳文章訳にだいぶ惹かれている自分に気がついた。

亡者たちは「その裸身(はだかみ)を、むれつどう虻や蜂に、いたく刺され」、その「顔には血がしたたり、血は涙とまじるのを、ぞろぞろと足もとを匍ういやらしい虫のむれが、とり集めてゆく」のであるが、この責苦の深さもきびしさもない卑しげなありようは、生きたこともない人間の屑にいかにもふさわしい。

地獄篇第三歌の天国にも地獄にも見捨てられた「恥もなく誉れもなく、凡々と世に生きた者たちの、なさけない魂のみじめな姿」の描写部分である。寿岳文章訳の「顔には血がしたたり、血は涙とまじるのを、ぞろぞろと足もとを匍ういやらしい虫のむれが、とり集めてゆく」(第三歌 67-69行)は、平川祐弘訳では「彼らの顔は血まみれとなり、それが涙とまじって足もとに垂れ、それをまたいまわしい虫けらが吸っていた」であり、須賀敦子藤谷道夫訳では「顔には血が筋をなして流れ 涙と混じりあい、足もとで 気味悪い蛆虫たちによって吸われていた」である。並べてみると、寿岳文章訳には日本語で詩的になるようにするための修飾や語変換が多いのだろうと予測がつく。それを踏まえたうえで、この先機会をつくって寿岳文章訳『神曲』も通して読んでみたいと思った。

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【付箋箇所】
4, 16, 22, 26, 27, 30, 50, 77, 90, 102, 106, 112, 117, 122, 123, 128, 129, 142, 171, 175, 180, 187, 188, 190, 206, 214s
目次:

粟津則雄
1927 - 
ダンテ・アリギエーリ
1265 - 1321