読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

三好達治『萩原朔太郎』(筑摩書房 1963, 講談社文芸文庫 2006)

萩原朔太郎を師と仰ぐ三好達治の詩人論。『月に吠える』『青猫』で日本の口語自由詩の領域を切り拓いたのち、「郷土望景詩」11篇において詩作の頂点を迎えたと見るのが三好達治の評価で、晩年の『氷島』(1934)における絶唱ならぬ絶叫は、詩の構成からいって後退していて「何やら歩調の混乱」が見えるとして否定的に捉えているのが特徴である。

三好達治萩原朔太郎と面識を得たのは、1927年、三好達治27歳、朔太郎41歳の時で、以後15年にわたって師弟としての交流がつづいたなかで、『氷島』をめぐる作者本人との認識の違いは、これまた詩人である三好達治との資質の違いもあり、最後まで交わることはなかった。自身の感傷癖を超克する努力の成果として『氷島』を受容してほしい朔太郎と、『氷島』以前の朔太郎詩に込められた独自の「感傷」表現にこそ現実ならびに同時代の日本語の詩の世界を撃つ新しい詩の不思議な力があるとする三好達治では、齟齬が生まれるのは仕方のないことであったと思われる。関係性が冷え込んだ時期に伊東静雄の『わがひとに与ふる哀歌』をめぐる評価の違いも起こってしまったことは、延焼の感じもあり、すこし残念なところではあるが、時代状況やフランシス・ジャムやルナールに影響された当時病身でもあった三好自身の四行詩の短詩作風を考慮に入れると、起こるべくして起こってしまった齟齬なのではないかと思った。ちなみに萩原朔太郎の『氷島』に関しては、私としては、三好達治の分析のほうが冷静で納得がいっている。『氷島』の萩原朔太郎は傷ついていて痛ましい。

『月に吠える』『青猫』においても詩人は傷ついていて痛ましくはあるのだが、一方でそこには象徴的で美的な層が厚く醸成されているために、痛みとともに甘美さがあって、すこし異常ではあるが浸透し持続する状態に浸っていられることが可能になっているところに、ほかに比較できるものがなかなかない詩的達成がある。『月に吠える』(1917)はまだフランスにおいてもシュルレアリスムが唱えられる前の詩集であるが、その志向するものを先取りしているともいえる。三好達治の理解によれば、それを実現したのは萩原朔太郎にあった「イロジスム(非論理性)」と詩的リズムを生成する朔太郎の詩作の現場いおいての「自動器械」的な働きぶりであるという。繊細かつ厳密な詩の読み手としての三好達治に、師弟関係という濃密な交流の中でもバランス感覚を失わない人物観察をする三好達治が重なることではじめて出てくる、ほかに類を見ない萩原朔太郎評であると感じた。

萩原の詩、『月に吠える』『青猫』二巻の詩集、それから後の『氷島』、それらはすべて通じて、言語組織の常理から、常理のしがらみから「詩」を解放することにむかっての捨身の突撃であった

「詩」は心の憑代のことばであり、かつ心が創りだされる現場でもあろう。素材でもあり桎梏でもある「常理」の圧力に、不可解である「自動器械」の私の運動が抵抗して見せる。その抵抗が見せるひとつの在り方として詩が生まれることを、三好達治は師萩原朔太郎の詩作を通して、濃やかに分析教示してくれている。

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【付箋箇所】
29, 39, 51, 56, 67, 75, 80, 109, 115, 147, 185, 262, 291, 301

目次:
1 萩原朔太郎詩の概略
2 朔太郎詩の一面
3 『詩の原理』の原理
4 『路上』―萩原さんという人
5 仮幻
6 後記(二)

三好達治
1900 - 1964
萩原朔太郎
1886 - 1942
伊東静雄
1906 - 1953