読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

スティーヴン・ナドラー『いかに生き、いかに死ぬべきか 哲学者スピノザの叡智』(原著 監修:上野正道, 訳:藍浜かおり Newton新書 2023)

出版社も翻訳者も監修者も哲学専門ではないということもあってか、何だかフワフワ感のあるスピノザ紹介書。翻訳者が違っていればまた違った印象の本になったのではないかという気もするが、原著者スティーヴン・ナドラーはスピノザを専門とする学術者でもあるので、基本的には信用はできるはずである。こなれていない訳文は、逆にスピノザの思想を再確認してみようというきっかけになるかもしれない。

例えば『エチカ』第3部の定理6は本書では
 それぞれのものは、それ自体の力をもっていられる限り、その在り方に耐えようと努力する
と訳される。2022年刊行の新訳スピノザ全集の『エチカ』以前に一般的に参照される日本語訳の岩波文庫畠中尚志訳で同じ個所は
 おのおのの物は自己の及ぶかぎり自己の有に固執するように努める
と訳されている。「自己の有に固執するように努める」と「その在り方に耐えようと努力する」の違い、特に「固執する」と「耐える」の違いは、「努める」と「努力する」の日本語のニュアンスの違いと相まって、主体性のある生き物臭さが増幅されているようだ。本書訳だと、無機物の小石でさえもそれ自体であるためにその在り方に耐えようと努力している精神的なものがあるアニミズム的な世界観により親和的になりそうだ。

後の章(とりわけ第10章)で精神の永遠性について考察する際に、著者はスピノザの精緻な読解と伝記的な資料により個人的なものの永続性あるいは魂の不死性とは異なる思想であることを強調している。そのためスピノザの神即自然の汎神論的一元論は古代的アニミズム世界観とは近接しているようでいて決定的に異なってもいるのだが、スピノザ思想を局所的に且つ自文化に引きつけて解釈すると輪郭が曖昧になり、誤読を誘発しそうにもなる。ただ、誤読によって新たな世界が拓かれる可能性も全くないとはいえないところが面白いところで、基本を押さえながら逸脱しつつ、活動する力を増大する方向に進んでいくよう期待されるものであろう。

訳書の質が一般的にいって悲しむべきものであるならば、それを喜ばしいものへと個々に展開していくのがスピノザ的な活動であるのだろうと思う。

www.newtonpress.co.jp

【目次】
第1章 「新しい生き方」
第2章 人間本性の型
第3章 自由な人
第4章 美徳と幸福
第5章 高慢から自尊心へ
第6章 堅忍
第7章 誠実
第8章 博愛と友情
第9章 自殺
第10章 死
第11章 正しい生き方


【付箋箇所】
35, 44, 45, 91, 111, 115, 125, 151, 158, 175, 187, 192, 194, 210, 234, 245, 260, 308, 313, 315, 342, 345, 347

バールーフ・デ・スピノザ
1632 - 1677

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