読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

フランシス・ポンジュ『表現の炎』(原著 1952, 1976 思潮社 1980)

原題名を直訳するならば『表現の怒り』。従来の言語への嫌悪感から、その言語を告発し、修正するべく書きつづけ、新たな詩の言語の生成の過程をあきらかにていくことが、ポンジュの詩法の特徴である。

実質的な第一詩集である『物の味方』での、物に寄り添い、物を愛でながら、言語による描写の極限を志向していたところから、言語を使って書くことの運動、思考と五感と記述する手の運動を、開かれた場に向けて解放していこうとする詩作の軌跡自体を志向するようになっていったフランシス・ポンジュ。日本での受容は、『物の味方』の初期ポンジュの作風に偏る傾向にあるが、詩人ポンジュの活動としては、『物の味方』から進展していった第二の詩法、「詩的日記」の方法が主流であるらしい。宝石のように完成され磨き上げられた「表現の閉ざされた形式」から、原石の採集から新たなカッティングと研磨の方法の調査ととりあえずの決定まですべての過程を作品として提供しようとする「表現の開かれた形式」へポンジュの詩法は移っていったようである。なにぶんポンジュの詩集の日本語訳は『物の味方』と『表現の炎』の二冊しかなく、「詩的日記」の方法で書かれた他の代表作で、評論にもよく取り上げられる『プロエーム』『マレルブ論のために』『石鹸』などのの翻訳紹介にはまだ出会えてはいない。もう一冊、「詩的日記」の方法で書かれた詩集が存在すれば、ポンジュの詩人としてのイメージも、実際の詩作活動に近いものになると思うのだが、もう機は失われてしまっただろうかと。

科学者のように、学者のように、自らの詩を書きたいというポンジュに対して、それは詩的想像力を扼殺する手法ではないだろうかと批評する人も現われる。従来の詩のイメージに拘束されている発言に対して、ポンジュ自身の詩の言葉による抵抗は以下に特徴的に見られる。

 私たちを支配する闇の様々な力に、特に神様(ムッシュウ・デュ―)には捉われず、一度ならず(科学の樹から)禁断の木の実を摘むことが重要である。
 積極的に(謙虚に、だが有効に)《智識(リュミエール)》のために、そして蒙昧主義(オブスキュランティスム)と戦うことが問題なのだ
(「ラ・ムーニーヌ」より)

拘束してくるものに対して、腹立ち、抵抗しようとしているポンジュ。基本的には怒りの感情を秘めているフランシス・ポンジュが本書には居る。しかし、本書を読んでいて感じるのは、ポンジュの怒りよりも、ポンジュの挑発的な言語活動の実際である。自分自身の言語活動を厳しく振り返りながら、読む者をも挑発するような言語を算出しつづけるような詩の言葉が、日付を持って記載されている。日付で区切られることで、言葉が生まれた時が明確化され、日付と日付の間の間隔から、生み出された言葉の生産性が、量と質の面から読者に迫ってくる。日付があると、同じ日程で、自分自身が果して同じことを出来るだろうかと、要らぬ考えも浮かんできてしまう。読者は、作者と自分との比較をして、少し傷つくことを想定しておかなければならない。

休息を犠牲にして拡げられる私の翼の全幅
誰も決してそれをゆっくり見つめていることはできない。
そして休んだと思うとすぐに私は身を組み直す――
ナイフの刃のように手品のように隠される四肢――
その上を巧みに落着く羽毛、
関節をひとつも見せないように。
(「鳥のために書かれたノート」より)

「ゆっくり見つめていることはできない」とは言っても、書かれた詩は、ゆっくり、何度でも見つめることは可能だ。鳥の飛翔を見ることよりも、見る側の自由は保障されている。それでも、なかなか見つめつづけるのは難しいと思っていると、さらに、鳥である詩人の側から関節のいくつかを見せてくれたりもする。詩に用いる語句の選択をするためにたびたび図書館に出向いて調べるリトレの辞典、詩の構成を決定するための韻律パターンの提示。見せるべきところはためらいなく見せてひとつの詩を構成しているのが「表現の開かれた形式」のポンジュの「詩的日記」の作品であるらしい。

【付箋箇所】
26, 34, 46, 76, 108, 141, 143, 152, 154, 157, 160, 183, 185, 188, 189,190,203, 210, 211, 212

目次:

日本の読者に

ロワール河の堤
雀蜂
鳥のために書かれたノート
カーネーション
ミモザ
松林の手帖
 その群落/松林の楽しみ/詩的膿瘍の形成/そのすべてが重要なのではない/付録
ラ・ムーニーヌ

訳注
訳者あとがき

フランシス・ポンジュ
1899 - 1988
阿部弘一
1927 - 2022