読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジョルジュ・ブラック『昼と夜 ジョルジュ・ブラックの手帖』(原著 1952, 藤田博史訳 青土社 1993)と新潮美術文庫43串田孫一解説『ブラック』(新潮社 1975)

ブラックの『昼と夜』は、1917年から1952年まで、画家35歳から70歳まで折に触れて手帳に書かれたアフォリズム176篇を集めて書籍としてまとめられたもの。

ブラックは祖父の代からの建築塗装業を営む家系に生まれ、15歳で日中学校に通う傍ら夜間の美術学校に通い出し、17歳で学業を辞め美術学校に通いながら知り合いの装飾塗装業者の徒弟となり修業を積む。19歳の1年間の兵役義務を経た後、画家になる決心をし、これより60年間というブラックの長い画歴がはじまる。当初はマティスのフォーブの影響の強い作品を書いていたが、セザンヌを研究しピカソに出会うことでキュビズムへの展開を切り拓いていく。その後、紙片を貼り付けて画面を構成するパピエ・コレの作品に移り、第一次世界大戦での出征と負傷の時期を経て、色彩と具象的要素が画面の多くを占める静物画や室内画を手掛けるようになる。暖炉シリーズ、円卓シリーズ、ビリヤード台シリーズ、アトリエシリーズ、鳥の連作、農村の風景画と様々な主題とスタイルに変遷していったブラック。作風は時代時代で大きく変化し、その変遷を見ると、絵画の探究者あるいは行者という印象を受ける。

手帖のアフォリズムについても、ブラックの作家としての倫理的側面が強く打ち出されているものが多く、真摯な探究者というイメージは揺らがないが、作風に比較して、35年分のアフォリズムのほうにはあまり変遷のようなものは感じられない。技術的側面についてではなく精神的なものについて語っているものがほとんどで、セザンヌが始めた絵画作品の色彩と構成の現代的探究を受け継ぎ独自に発展させていったブラックの画家としての探究心の根本は、35歳で手帖を書きはじめたころには、すでにブレようがほど確固たるものとなっていたのではないかと想像させる。

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芸術における進歩は、芸術の限界を拡張することではなく、芸術の限界をよく心得ることにある。

ブラックのひとつひとつの作品は、様々な観点から絵画が可能な表現の限界を追求する実践の場であったようである。

なお、『昼と夜 ジョルジュ・ブラックの手帖』にはブラック作品の図版は収録されていないため、ブラックがどのような作品を制作した作家であるかを知るためには、別途画集かカタログを用意しておく必要がある。手に入りやすいコンパクトな画集としては新潮美術文庫の『ブラック』があり、哲学者で詩人でもあり美術に造詣も深い串田孫一の簡潔な解説とともに、ブラックの全体像にすんなり触れることができる。ブラックの作品を語るにあたり手帖の言葉に多く依存する傾向があることに注意を促し、作品を見ることに何よりも重点を置いているという点で、ブラックの手帖『昼と夜』と同時に手にする意義の多い画集なのではないかと思う。パピエ・コレとそれにつづく時代のマントルピースの作品の解説において、装飾塗装の技術を持っていたブラックならではの木目の表現や大理石の模造表現の卓越した技巧に目を向けさせる串田孫一の解説は、的確でありながらなかなか論点の中心に据えるには勇気のいる爽快な切口で、一読の価値がある。

 

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【付箋箇所】
『昼と夜』アフォリズムの番号:
1, 3, 5, 6, 8, 16, 17, 20, 29, 35, 38, 43, 47, 48, 56, 67, 69, 79, 88, 99, 107, 113, 117, 120, 133, 157, 163, 


ジョルジュ・ブラック
1882 - 1963
藤田博史
1955 - 
串田孫一
1912 - 2005