読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

田中喜美春+田中恭子『貫之集全釈』(風間書房 私家集全釈叢書20 1997)

紀貫之の私家集の全注釈本。基本的には本文(現代的表記の漢字かな交じり文に変換したもの)・本文異同の検討・現代語訳・語釈による四段構成で、追加で補説参考の考察を付加している。全般的に縁語や掛詞や願掛けを主体とした歌の呪術的機能への配慮が目立つ構成で、現代語訳については原歌の詩歌としての韻律や含みを、散文的に解析し再構成するような指向性が強く感じ取れる。意味は現代語訳としての通釈で、歌全体の風貌は語釈と本文から見ていくべき造りのようだ。

 

【原詩:現代語表記】
ものごとにふりのみ隠す雪なれど水には色も残らざりけり

 

【通釈(現代語訳、本書における歌番号:88 )】
ありとあらゆるものを降って振り出し染めで白く隠すばかりの雪であるけれど、水に対しては色も残らないことだ。

 

【参考(一部抽出)】
貫之は、野山の新緑や紅葉が呪力に従って必然的に生起することを染色法によって、歌ってみせた。(中略)そして、雪が白く染めることもこの方法で歌ってみせた。

 

本書は紀貫之ただひとりの私家集に700ページにも及ぶ考察を施した稀有な書物で、貫之の和歌作品の解釈に、詳細かつ新たな視角を提供し、古典作品を現代に生き返らせようとする野心が感じられる。

職業歌人として、題詠によって請われる水準をあたりまえに超えながら、自己表現を紛れ込まして自己主張を行なうしたたかさ。官位は低くとも、歌語詩歌の世界においては、上官たちとも対等に渡り合える特権を自ら築きあげた、したたかさと人付き合いの良さ。下級官吏でありながら、望みうる最大の自由と恩寵を享受つつ、理知的な面でも多いに活躍した、稀有な人物であったと思う。

なお、土佐日記を読み返した直後なので、帰りついた都の家の心無い隣人のモデルを探し求める好奇心が多分にはたらいていたことが、今回の読みに偏向をもたらしていたであろうことは書きめておく。

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【付箋箇所(本書における歌番号)】
10, 22, 26, 27, 88, 192, 223, 257, 459, 495, 536, 549, 569, 575, 588, 596, 597, 598, 621, 676, 706, 744, 772, 807, 816, 832, 842, 855, 857

 

紀貫之
872 - 945
田中喜美春
1941 -
田中恭子
1948 -