読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

コレクション日本歌人選046 高野瀬恵子『源俊頼』(笠間書院 2012)

はじめての組題百首『堀河百首』をまとめ、勅撰集『金葉集』を編纂、歌論『俊頼髄脳』を残し、俊恵、鴨長明を弟子筋に、その他おおくの歌人に影響を与え、後代に名を残す源俊頼ではあるが、実際のところその歌は現代ではあまり読まれていないのが実状であろう。私歌集『散木奇歌集』も図書館で探せば収録書は見つけられるが全1600首を超える作品をはじめから喜んで全部読み通せるかというとなかなか難しい。自分の力だけではよく鑑賞するのが難しい、洗練された言葉の匠タイプの歌人で、どこがいいのか教えてもらわないと初心者にはどう読んでいいのか分からないということが起こる。

憂かりける人を初瀬の山おろしよはげしかれとは祈らぬものを

百人一首に採られた歌でさえ、初瀬にある長谷寺の十一面観音に恋の成就を祈りながら叶えられなかったことを歌ったもので、三句字余りの渋滞感も嘆きの表現としてうまく機能しているというふうに指摘してもらわないと、きちんと鑑賞することはできない。事前知識も説明もなしにどうしようもなく心に迫るような歌などというものは、ほんの数点、数える程度しかないのは当たり前で、歌が歌われた当時の人びとの感覚に寄り添うようにしていかなければ古典の扉は大きくは開かれない。
そこで訳に立つのが専門家による解釈解説である。基本的に見開き二ページでひとつの歌を鑑賞していく本シリーズ「コレクション日本歌人選」は歌人の代表的な歌を50首程度取り上げて、ふだんは駆け足で読みすすんでしまうであろうひとつひとつの歌に立ち止まらせ、じっくり鑑賞させていく。解説を書くのは比較的新しい世代の研究者で、『源俊頼』の著者高野瀬恵子は刊行当時55歳。書き方も各著者の個性を尊重していて、一冊ごとに味わいが異なっている。本作では、著者高野瀬恵子学者であり教師である前に熱烈な俊頼ファンであることが前面に出ている書きっぷりが特徴で、人によって好みは分かれるだろが、私は愛らしさを感じた。付録エッセイを書いている歌人馬場あき子のほうが専門的で手堅く深みのある研究者然とした書き方で、普通であれば逆だろうと思わせてくれるところもおもしろい。    

春霞たなびく浦は満つ潮に磯こす波の音のみぞする
山の端に雲の衣を脱ぎすててひとりも月の立ちのぼるかな
日暮るればあふ人もなし正木散る峰の嵐の音ばかりして

視覚と聴覚と触覚とが現実と想像とが交叉するところで同時にはたらき幻想的な印象をもたらしていることをよりよく感じとるためには、歌に歌われた情景を再創造するように鑑賞者が思い浮かべ、さらには声に出して自ら歌ってみるのがよい、と高野瀬恵子は言う。声に出して誦むというのは、さすがに教壇に立って声を出すのが仕事である人の意見である。ひとり歌集を読むときは滅多なことでは音読や朗誦などはしないであろうからだ。

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源俊頼
1055 - 1129
高野瀬恵子
1957 - 
馬場あき子
1928 -