読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ロラン・バルト『ラシーヌ論』(原著 1963, 渡辺守章訳 みすず書房 2006)

壮年のロラン・バルトがフランス国立民衆劇場の機関紙的位置を占めていた『民衆劇場』誌でブレヒト派の劇評家として活躍していた時代の作品。理論的背景やバルトならではのエレガンスさはしっかり融合されてはいるが、ジャーナリスティックな論争姿勢が顕著にあらわれている変わった味わいの一冊。ラシーヌの古典的悲劇全11作を縦横に語りながら、既存のラシーヌ神話やラシーヌ研究のアカデミックな姿勢に対して攻撃を仕掛けている「闘うバルト」がいる。フランス演劇界の古典であるラシーヌのテクストそのものの持つ過激な力を読み取り、全面的に展開させることで、現代世界に揺さぶりをかける手際はいまでも新鮮かつ見事。

ラシーヌの戯曲に触れたことがない人、あるいは通りいっぺんにしか読んだ経験がなくラシーヌの各作品を思い浮かべることが容易でない人(これは私だ)にとっては、途中でラシーヌの戯曲こそ読んでみるほうがいいのではないかと思わせるほどに濃度が高く、読み取りきれない部分が出て来もするが、そんな場合にはバルトと同時代を生きた訳者渡辺守章の詳細で量的にも優れた解題が手を貸してくれる。本篇265ページに対して、解題111ページ。パリ留学中の1950年代後半の劇場界隈の様子、ラシーヌ戯曲に関する情報、バルトの理論自体に対する解題と、バルト理論が与えた影響など、広く視野で平明に語っているために、事前知識のない読者にも分かりがいい。ラシーヌの門外漢にとっては、訳者解題を先に読み、原注に引かれる各作品からの引用にあまり気を取られることなく、ある程度のスピードを保ってバルトのラシーヌ論を読むのが、妥当な態度であろう。魅かれたところがあれば、また時間を取ればよい話だ。

暗示と断言、語る作品の沈黙と、聴き取る人間の言葉、これが世界と歴史の内部における文学の無限の息である。そして、ラシーヌが、文学作品の暗示的な原則を完璧に履行したからこそ、彼は我々に、我々の断言的な役割を断言的な役割を十全に果たすことを要求するのだ。
ロラン・バルトの「前書き」より)

 

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【目次】
第一部 ラシーヌ的人間
 Ⅰ 
 構造
  《奥の間》
  外界の三つの空間——死、逃走、事件
  原始遊牧民
  二つの《エロス》
  惑乱
  エロス的「場景」
  ラシーヌ悲劇の《明暗法》
  根底的な関係
  攻撃の手法
  無名の主語《on》
  分裂
  《父》
  逆転
  《罪過》
  ラシーヌ的英雄の「独断論
  解決の粗描
  腹心の部下
  記号の恐怖
  《ロゴス》と《プラクシス》
 Ⅱ 作品
  ラ・テバイッド
  アレクサンドル
  アンドロマック
  ブリタニキュス
  ベレニス
  バジャゼ
  ミトリダート
  イフィジェニー
  フェードル
  エステル
  アタリー

第二部 台詞としてのラシーヌ

第三部 歴史か文学か

解題

【付箋箇所】
2, 4, 5, 6, 9, 11, 22, 33, 37, 42, 46, 60, 80, 86, 96, 100, 102, 103, 106, 110, 143, 194, 205, 221, 255, 260, 264, 279, 288, 292, 299, 305, 306, 313, 314, 315, 318, 320, 328, 331, 332, 341, 344, 352, 360

 

ロラン・バルト
1915 - 1980
渡辺守章
1933 - 2021
ジャン・ラシーヌ
1639 - 1699