読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ミシェル・ビュトール『ポール・デルヴォーの絵の中の物語』(原著 1975, 内山憲一訳 朝日出版社 2011)と中原祐介責任編集『現代世界の美術 アート・ギャラリー 19 デルヴォー』(集英社 1986)

ビュトールの『ポール・デルヴォーの絵の中の物語』は,『夢の物質』の第二巻『地下二階』に収められた「ヴィーナスの夢」の章を抽出して訳出されたもの。全5巻の長大な作品の中でデルヴォーの絵に触発されて綴られた作品の一部が全体のなかでどのような位置づけにあるのかはよく分からないが、趣向としては夢のなかでデルヴォーの絵の中の物語を創り直しながら体験し直している体のお話。デルヴォーの熱量の少なく事件も起こりそうにないエロティックな世界から、どんな話が導き出されるのかというのが興味の対象となってくる。
この作品は飛躍や説明なしの不思議な展開が多く、全体としての像もむすびついてくれるわけではない。デルヴォーの絵とあわせて、断章ごとに詩的興感を軽くたのしむというくらいが適当な接し方ではないかと思う。そのほかには、縦横に散りばめられた文学や絵画からの引用を調べて、鑑賞の対象の領域をひろげていくという時間の使い方も楽しめる。私の場合、途中横道にそれて、画家のクロード・ロランについてけっこう調べて、デルヴォーとは異なる牧歌的で安らかな神話の風景を楽しんだ。訳注をきっかけとすればいろいろ探索の道が拡がると思う。
本書には、デルヴォーの作品に関しては新刊で購入できる画集が少なく見る機会が限られているということもあって、訳者内山憲一がデルヴォーの図版18点とともにビュトール作品を訳すことで、日本に再導入するという意味合いが込められている。白黒ではあるが代表的な作品が多く含まている図版は、はじめてデルヴォーを見る人にカラーでも見たいと思ってもらうきっかけとして十分に機能している。
デルヴォー作品のカラーの図版で現在いちばん手に取りやすいのは集英社の『現代世界の美術 アート・ギャラリー 19 デルヴォー』ではないかと思う。こちらには、60点のカラー図版に、デルヴォーが描く世界の様相を的確に読み解いてくれている中原佑介の解説と、デルヴォーを愛する金井美恵子宇野亜喜良のエッセイがついている。「少しかたそうな肉体を持つ彼女たち」(金井美恵子)、「デルヴォーの描く女たちは、どれも挑発的ではあるが、体温が低く、男たちはいつまでも抱く気になれないでいる」(宇野亜喜良)といった核心をついてくる言葉はビュトールにも決して負けてはいない
作品を構成する人物たち自身に変容しながらデルヴォーの世界を再創造するビュトールと、見ることに徹してデルヴォーの世界の魅惑を見事に伝えている日本人三人。どちらもいいが、デルヴォーの世界への入り口としては個人的には集英社画集の日本人三人組をお勧めしたい。

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目次:

ミシェル・ビュトールポール・デルヴォーの絵の中の物語』(原著 1975, 内山憲一訳 朝日出版社 2011)
ヴィーナスの夢 ポール・デルヴォーの絵の中の物語   ミシェル・ビュトール
 挨拶 1938年
 眠れる町 1938年
 ノクターン 1939年
 ピグマリオン 1939年
 月の位相Ⅰ 1939年
 町の入口 1940年
 町の夜明け 1940年
 月の位相Ⅱ 1941年
 不安な町 1941年
 月の位相Ⅲ 1942年
 囚われの女 1942年
 眠れるヴィーナス 1944年
 夜の汽車 1947年
 十字架降下 1949年
 クリスマスの夜 1956年
 学者の学校 1958年
 見捨てられて 1946年
 ジュール・ヴェルヌを称える 1971年

託けを運ぶ女たちの行列 ポール・デルヴォーを偲んで  ミシェル・ビュトール
ミシェル・ビュトールという銀河  内山憲一
訳者あとがき ビュートルの研究者ではない私が、なぜこの翻訳を思い立ったか

中原祐介責任編集『現代世界の美術 アート・ギャラリー 19 デルヴォー』(集英社 1986)

ミシェル・ビュトール
1926 - 2016
内山憲一
1959 -
中原祐介 
1931 - 2011
金井美恵子
1947 -
宇野亜喜良
1934 -