読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

宮下規久朗『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』(名古屋大学出版会 2004)

『カラヴァッジョ 聖性とヴィジョン』は美術史家宮下規久朗の主著で、第27回サントリー学芸賞(芸術・文学部門)と第10回地中海学会ヘレンド賞を受賞した会心の作であり出世作でもある。

宮下規久朗は、修士課程修了後、いったんは大学を出て、美術館で学芸員を務めていたが、その間も研究を続け、1995年10月に神戸大学文学部助教授として召喚されるという、少し変わった経歴の持ち主。幼少時からカラヴァッジョに惹きつけられたのは、作品自体の魅力ばかりでなく、世間の規格から外れた行動に出てしまう型破りな人物像への共感のせいでもあったと本人も言っている通りで、本書はカラヴァッジョへの憧れと共感をもって30年にもわたって続けられてきた熱のこもった研究の成果であり、学術的な著作であるにもかかわらず内容は感動的でさえある。41歳にしてはじめて刊行された本格的研究書。

東洋美術や現代美術など様々な美術に興味を惹かれたり熱中しながらも、カラヴァッジョはいつも私の脳裏から離れることがなかった。いわくいいがたい作品の力に惹きつけられただけでなく、この画家の不安定で激しやすい破滅型の人格に、自分のそれを重ねて共感していたのも確かである。
(「あとがき」より)

本書では、カラヴァッジョの作品自体の綿密な研究と、作品の制作を取り巻いていた時代の政治や宗教や職人世界や庶民の交流の場などの広範な歴史考証の下で、作品に込められた意図や効果を解き明かし、それでも資料からは確定できないことに関しては、慎重に、そしてカラヴァッジョの生を生きなおすかのような情熱をもって推理をはたらかせ、ひとつひとつの作品を分析検討していく。その様子には、謎解きの要素を多分に含んだ知的饗宴をテキスト上で主宰しているような印象が湧いてくる。

口絵の12点とカヴァー図版以外は、すべてサイズも縮小されたモノクローム図版ではあるが、カラヴァッジョ自身の作品と関連するほかの作家の作品が本文テキストの記述に沿って豊富に取り上げられ読者の理解をよく手助けしてくれる。さらに、作品があるべき場所で見られることによって独特な構図の意味が分かるようになると説明される作品については、教会等に収蔵されている状態のままの写真図版が掲げられていて、カラヴァッジョの作品がいかなる環境の下に生まれ、制作されたのちにいかに享受され影響を与えていったかが感覚的によくわかるように配慮されている。また、10本からなる本書の章立ては、おのおの違った視点を読者に与えてくれるので、カラヴァッジョの作品をより多角的にそして深く鑑賞するように導いてくれる。特にカラー図版の作品については、著者によって重点的に論じられているもので、本書を読む前と読んだ後では作品に対峙するときに持っている情報の量が圧倒的に異なるため、見る場所も解釈も相当に異なってくる。国も時代も異なる人間が、絵画の古典的作品を見るときには、専門家の案内がどれほど必要かということも身をもって知ることになるであろう一冊である。

油彩による劇的リアリズムの表現を生み出したことで、時代を画することになった稀有な画家、カラヴァッジョ。現代日本の卓越したカラヴァッジョ研究者であり、自身も文章による卓越した表現者である宮下規久朗によって、じっくり作品案内をしてもらうことは、多くの人にとって、心地よく、心躍る体験となることであろう。

 

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【目次】
はじめに

第Ⅰ部 カラヴァッジョの位置
 第1章 生涯と批評
 第2章 1600年前後のローマ画壇とカラヴァッジョ
第Ⅱ部 カラヴァッジョ芸術の特質
 第3章 回心の光
 第4章 幻視のリアリズム
第Ⅲ部 カラヴァッジョ作品の諸問題
 第5章 真贋の森
 第6章 カラヴァッジョの身振り
 第7章 二点の《洗礼者ヨハネ》の主題
第Ⅳ部 カラヴァッジョ逃亡
 第8章 末期の相貌
 第9章 犠牲の血
 第10章 失われた最後の大作

あとがき
ローマ カラヴァッジョ作品案内図
カラヴァッジョの軌跡
カラヴァッジョ年譜

参考文献
索 引


【付箋箇所】
ⅱ, 6, 20, 24, 26, 51, 62, 67, 68, 73, 92, 116, 119,120, 126, 134, 177, 192, 198, 231, 262, 276, 298, 300

ミケランジェロ・メリージ(通称カラヴァッジオ/カラヴァッジョ)
1571 - 1610
宮下規久朗
1963 -