読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ロラン・バルト『物語の構造分析』(花輪光訳 みすず書房 1979)

バルト選集の第一巻として、1961-71年のあいだに公表されたもののなかから本人が選んだ論考を訳してまとめた著作。バルト生前の翻訳書で。日本をテクストとして読み解いた『表徴の帝国』(1970)にも深く関係する、異端の学者としての存在表明、闘いの軌跡と示される、論文集成。

特権的な作品と作家に焦点を当てるのではなく、間テクスト空間に開かれた作品を可能な限り読みひろげていくことを提唱したバルト。

理想と現実とのあいだにあって、現実側の制限の哀れさを読者にひとしく思いおこさせながら、読み読まれ、終わりを持たずに拡がりゆくテクスト空間の、限定されることを否認した理想的思考世界の姿を描きだしているところは、いまでも尊い

現代の(《読みにくい》)テクスト、前衛的な映画や絵画を前にして、大勢の人が感じる《退屈》は、明らかに、読書が消費に還元されているせいである。退屈するということは、テクストを生産し、もてあそび、解体し、行かせることができないということだ。
(「作品からテクスト」より)

作品をイカせること。読者が作品を解放し、読者自身が解放される読みの境地。乱交というよりは、修行の果てにみる混濁のなかの全肯定の世界観に近いものであるろうか。

文芸作品を読み続けていると、早漏は遅漏に変わってくるが、先人の言を見ると、相手をイカせたかどうかがが何より問題であるとされていることに気づく

あるテクスト上で最善を尽くして己の新たな世界が垣間見えたか否か、同じ時を過ごした作品に自分が関わることで新たな輝きが生まれたかどうか。

本書の論考は理論的なものなので、イカせる相手については限定されていない。理論に感じるところがあれば、イカせる相手を特定して、己の技巧と存在をぶつけてみることが著者の望むところであるだろうと思う。

 

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【目次】
物語の構造分析序説
天使との格闘——「創世記」32章32-33節のテクスト分析
作者の死
作品からテクストへ
現代における食品摂取の社会心理学のために
エクリチュールの教え
逸脱
対象そのものを変えること

 

【付箋箇所】
30, 38, 48, 52, 53, 77, 96, 101, 103, 108, 122, 133, 161, 168, 203, 205, 211, 214, 217

 

ロラン・バルト
1915 - 1980
花輪光
1932 - 1999