読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ユセフ・イシャグプール『現代芸術の出発 バタイユのマネ論をめぐって』(原著 1989, 法政大学出版局 川俣晃自訳 1993) 付録「スーラ―分光色素(スペクトラール)の純粋性」(1991)

テヘラン出身パリ在住の哲学者による現代絵画論二本。

マネ論「現代芸術の出発」は、バタイユのマネ論を主軸に、油彩技法の革新者であるファン・エイクから、現代絵画をはからずも切り拓いたマネの絵画技法に至る流れを、より俯瞰的に示したエッセイ。マネの絵画は旧来の価値体系によるところの有用性を無効化する供犠であると説いたバタイユの論考を引き継いで、さらにマネの特徴を描き出そうとしているのだが、自説とバタイユの説の融合があまりうまくいっていないためか、いまひとつシャープさに欠ける。

現代芸術は――マネ以来――偶像と慰謝に対する拒否であり、神々の消滅の後を引き受けて、世界の崩壊を食い止めて、「意味」の不在と人間の有限性と仮借なき死と虚無とに立ち向かう能力以外の何物でもなかったのである。
(「現代芸術の出発」第16章 p124 )

比較的多く現われる著者の断定的な主張は、それ自体は魅力的なものではあるのだが、その主張を支える作品分析は比較的弱い。論考のボリューム自体が小さく、そのなかでバタイユの論考を追いながら拡張した自説も押し込もうとしているためか、すこし散漫な印象を受ける。そのなかでは、マネが同時代の他の画家たちよりも古典的教養や古典的技法も、さらには手先の器用さもなかったがゆえに、それらに囚われることなく、独自の絵画に邁進することができたというような意味のことを述べているのが印象に残った。その説を展開するなかで、素朴派のルソーの名前も紛れ込んでいて、マネとルソーという単独者同士のひそかなつながりを示唆してくれているところはバタイユのマネ論を超えていて新鮮だった。

マネ論に比べてスーラ論は、先人の論考にと囚われることなく、著者のストレートな考えが表出されていて、読みやすいとともに腑に落ちるところがたくさんある優れたエッセイだと感じた。写真が出回り始め、絵画における写実性の価値が極端に下落していくなかで、霊気(オーラ、引用者註:ベンヤミンがいうところのアウラ)の再充填を志向したというスーラ像が、初期から晩年へとどんどん書き割りめいた作風になっていくことと妙に連動していて、スーラ後期の作品の非現実的な遣り切れなさがどこから生じてくるのかということを間接的に教えてくれる奥深いエッセイなのではないかと思った。

スーラは「素朴派」に近づいている。それは、おそらく、絵画と現実のあいだの摸倣関係がその限界に達しているために、具象(イマジュリー)と心象のはざまで、目に見えるものが、もはや観念の映像としてしか存在し得なくなっているからである。
(「スーラ―分光色素(スペクトラール)の純粋性」p153-154 )

色彩の混合を避け筆触分割によって色彩の極地の白にまで行きつこうとしたスーラの極端さが、絵画を霊気あふれる世界に変容させる前に、まず現実の重力から遊離しはじめているところを描きとめてしまい、その見えやすく子供じみた幻想的な映像に幾分か失望をおぼえてしまうのではないかと、勝手な解釈ではあるが、自分なりにはわりと納得した読書となった。

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【付箋箇所】
19, 23, 38, 45, 57, 81, 89, 98, 106, 111, 114, 119, 120, 124, 136, 142, 144, 146, 147, 148, 152, 153, 155, 157


ユセフ・イシャグプール
1940 -
ジョルジュ・バタイユ
1897 - 1962
エドゥアール・マネ
1832 - 1883
ジョルジュ・スーラ
1859 - 1891
川俣晃自
1917 - 1999

参考:

uho360.hatenablog.com