読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジョルジョ・アガンベン『バートルビー 偶然性について [附:ハーマン・メルヴィル『バートルビー』]』(原著 1993, 訳:高桑和巳 月曜社 2005)

ブランショデリダドゥルーズなどによって論じられるメルヴィルの特異な短編小説「バートルビー」(1853)の新訳とアガンベンバートルビー論を組み合わせて刊行された一冊。本篇と序文という形で刊行される形式は海外では多くあるようだが、メルヴィルの短編とアガンベンバートルビー論の組み合わせは日本オリジナル。手間なく気にかけていた批評対象と批評をつつけて読むことができるので、非常に便利。訳者による解説もついているので、より多角的に吟味鑑賞できるようになっているところも読みどころ。

ある法律事務所に筆写生として雇われたバートルビーは法律文書の筆写以外の依頼に関して「しないほうがいいのですが(I prefer not to/I would prefer not to)」と繰り返すばかりで自分の領分とすること以外に関しては頑として動かない。明瞭な口調で「しないほうがいいのですが」と繰り返すだけの常軌を逸した存在は周囲の者を苛立たせ困惑させるのだが、この行動や選択に関する度を越した傾向は周囲からの干渉が多くなるにしたがって強まっていき、ついには筆写も事務所からの立ち退きも食事をとることもしないようになる。度を越した好みの問題として取り上げられることが多いバートルビーではあるが、私が読んだ印象だと好みの問題というよりは自分自身にもどうにもならない内的な声に従うほかない人物のようにとらえたほうが腑に落ちる。一種の妄想状態にある人が、それでもできうる限り明確かつ穏便に人に自分の状態を伝えている言葉が「しないほうがいいのですが」なのではないかと思いながら読んでいた。協力もしないが攻撃もしないでただ場所を占めている存在。ただ、この理解はアガンベンには通俗的でなんの取り柄もない解釈にすぎないようで、アガンベンバートルビーを何をすることもしないこともできるという潜勢力の実験者、あらゆる可能性の全的回復者として読み解いている。善悪や快苦や肯定否定や真偽などで切り分けられていない不分明な領域に身を置きつづける人物としてのバートルビー。これはドゥルーズバートルビー論をさらに発展させたとらえ方である。「思うほど悲しい場所でもない」脱創造の世界にいるバートルビー。けっして飲み込みやすいものではないが、存在しないことの側の可能性をも含み持つ潜勢力の偶然性についてバートルビーを起点にして論じたアガンベンこだわりの論考。

 

getsuyosha.jp

【目次】
論考 「バートルビー  偶然性について」 ジョルジョ・アガンベン
小説 「バートルビー」 ハーマン・メルヴィル
解説 「バートルビーの謎」 高桑和巳

【付箋箇所】
26, 58, 62, 76, 78, 118, 131, 171, 186

ジョルジョ・アガンベン
1942 - 

ja.wikipedia.org

ハーマン・メルヴィル
1819 - 1891

ja.wikipedia.org


高桑和巳
1972 -