矢内原伊作がジャコメッティに出会いはじめてモデルとなった1955年から最後にモデルをつとめた1961年までの手帖を編集したジャコメッティ晩年の創作現場を身近にうかがえる貴重な資料集。日々繰り返されるジャコメッティの感覚と思考の基本的な動きが濃密に感じ取れる、現場にいた者のみが伝えられるドキュメント。弟ディエゴと妻アネットに加えて、晩年の決定的作品のモデルとなった矢内原伊作と娼婦で愛人のカロリーヌが織りなす人間模様も興味深い。脚色していないのに手帖に記されたメモの堆積から読み取れるのは小説のような緊密で特異な人間関係。書き留められていることは毎日ほぼ同じことなのに読み飽きないというのは不思議な経験で、無限の実践に挑む芸術家ジャコメッティにモデルでかつ観察者でもあった矢内原伊作が魅入られたのと同じように、単なる読者である私もまた当然のように目を離すことができなくなっていた。芸術の側にいるジャコメッティや矢内原とともに、生活の側に重心を置いて立っているアネットの不安定な姿を伝えているところも、コントラストが強くて印象深い。
また、アトリエ内のモデルと作家のあいだに生まれる緊張のほか、アトリエ内外でジャコメッティと交差する当時のフランス文化界を彩る綺羅星たちの姿が書き留められているところも本書の魅力となっている。トリスタン・ツァラ、ミシェル・レリス、ジャン・ジュネ、サミュエル・ベケット、サルトル、ボーボワール、アンリ・ミショー、イヴ・ボヌフォア、ジャック・デュパン。創作にかかわる芸術論のなかで出てくる、セザンヌ、マティス、ビュフェ、バルテュス、レンブラント、ゴヤ、コロー、シャルダン、チマブーエ、ピカソ、ブラック、ファン・エイクなど。パリのカフェでは大物たちの実物の姿や作品の印象が日常的に交差しているところが新鮮で、通り過ぎるだけの者たちさえ飽きさせない。
目を離すことのできない創造と破壊の過酷で美しい現場が臨場感あふれる筆致で残された貴重なメモ。矢内原伊作の親友であろう宇佐見英治が企画して、宇佐見の弟子筋の人々が20年近い年月をかけて整理した、貴重な資料集。
カタカナ漢字混じり文のなかにフランス語(主に単語で訳付き)がまじるなかなか見なれない文体ではあるが意外とスグに慣れるので読むスピードはほとんど落ちない。初見の印象で畏れて引き下がる必要はまったくない。分量も多いが、基本的に創作現場の奇矯ではあるが単調な作業の積み重ねの記述であるので、全篇読み通し読み終えることに積極的な意味はあまりなく、達成感もあまりなくフェードアウトするものなので、気楽に読みはじめるのがいいかと思う(中身のジャコメッティと矢内原はいつでも濃いけれど、そういう人の日常に触れるための公開資料である)。
【目次】
Ⅰ.
手帖1959年
7月31日—9月2日[内輪の者になったヤナイハラ]
9月3日—22日[皇帝になったヤナイハラ——モニュメンタルな肖像画]
手帖1960年
8月5日—26日[彫刻と絵画]
8月27日—9月15日[よく見ることの手段としての絵画]
9月16日—24日[彫刻化する絵画]
手帖1961年
7月23日—8月2日[スタンパ訪問とアネットの告白]
8月8日—28日[絵画による彫刻の探究]
8月29日—9月15日[彫刻になったヴィジョン]
Ⅱ.
手帖1959年
7月31日—9月2日[内輪の者になったヤナイハラ]
9月3日—22日[皇帝になったヤナイハラ——モニュメンタルな肖像画]
手帖1960年
8月5日—26日[彫刻と絵画]
8月27日—9月15日[よく見ることの手段としての絵画]
9月16日—24日[彫刻化する絵画]
手帖1961年
7月23日—8月2日[スタンパ訪問とアネットの告白]
8月8日—28日[絵画による彫刻の探究]
8月29日—9月15日[彫刻になったヴィジョン]
【付箋箇所】
Ⅰ.
43, 87, 88, 90, 91, 110, 111, 114, 145, 147, 162, 186, 194, 196, 201, 202, 203, 204, 214, 215, 226, 227, 245, 265, 267, 276, 282, 287, 292, 298, 299, 303, 334, 340, 344
Ⅱ.
123, 133, 139, 141, 153, 155, 160, 171, 189, 192, 194, 199, 213, 221, 222, 223, 224, 230, 238, 241, 271, 278, 288, 311, 377, 388
アルベルト・ジャコメッティ
1901 - 1966
矢内原伊作
1918 - 1989