読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジェイムズ・ロード『ジャコメッティの肖像』(原著 1965, 訳:関口浩 みすず書房 2003)

ジャコメッティ晩年の63歳、胃がん手術明けの年、1964年9月12日から10月1日までの18日間に、パリのアトリエにおいて美術評論家でエッセイストのアメリカ人ジェイムズ・ロードをモデルとして油彩作品を制作した際の記録。初日からモデルがパリを離れなければならないタイムリミットの18日間、描いては消し、消しては描きなおしたジャコメッティの油彩18バージョンの図版を収めてあるのが特徴。活字印刷のページと同じ用紙に白黒の縮小図版として掲載されているジャコメッティの作品は、コントラストが強いこともあってかなり見えづらいものではあるのだが、ジャコメッティの日々繰り返される終わりなき作業と苦闘のなかでの前進を同一作品で時系列にそって追うことができるという貴重なもの。モデルとしてポーズをとっているジェイムズ・ロードの写真もついていて、見えるように描くことを理想としたジャコメッティの技術の高さと理想の高さとのあいだでの無限の格闘の様子がかなり良く伝わってくる。人物の頭部が比較的写実的におさまっている日と荒々しい線で解体と創造の危ういバランスを辛うじて保っている日が交互にあらわれてくるようで、それがジャコメッティの創作のリズムなのかどうか、基本的には完成のない作業の緊張感、否定と肯定の、凶暴さと繊細さ、絶望と賛美の押したり引いたりの呼吸が感じ取れる。日本人の矢内原伊作の長期にわたるモデルの記録にくらべればごく短い期間の制作現場の様子を伝える記録作品ではあるが、記録のスタイルは写実的な小説のようで、画家の動きや発言から結ばれる芸術家ジャコメッティの印象は一定の距離感のもとで統一感を持った姿におさまっている。セザンヌのアトリエ保存に大きな功績もあった美術界に関係の深いジェイムズ・ロードとジャコメッティの会話は絵画に関する具体的なものが多く、書き手であるジェイムズ・ロードのジャコメッティ観も抑制を効かせながら折々述べられていることから、ジャコメッティの芸術家としての肖像がよく描かれているという印象が強い。
本書はジェイムズ・ロードが見て感じたジャコメッティジャコメッティが見て感じたジェイムズ・ロードの双方向の似姿を、それぞれの領域の素材と技術でもって描き上げた稀有な共同作品としてとらえることができる、美術書ともルポルタージュともいえる一冊に仕上がっている。

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【付箋箇所】
7, 11,14, 19, 22, 37, 46, 52, 62, 68, 69, 71, 77, 85, 104, 105, 110, 114, 125, 143, 147, 151, 158, 163, 

アルベルト・ジャコメッティ
1901 - 1966

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ジェイムズ・ロード
1922 - 2009