読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

石田英敬+東浩紀『新記号論 脳とメディアが出会うとき』(ゲンロン 2019)

世界規模のネットワークに常時接続されている世界を生きる現在の人間の在りようを現代記号論の立場から分析しより良き未来に繋げることを意図してなされた総計13時間を超える講義対談録。

基本的に東大教養学部時代の師弟コンビの再編となる高級コミュニケーションで、一般的読者は後れを取ることを覚悟しないといけないが、それぞれに思い描いている未来像はどうあれ、現状分析までは確実に傾聴に値する学知を提供してくれている。

グーテンベルクの書字複製アナログメディアの世界から20世紀初頭の電気科学的複製メディア社会に移行し、20世紀後半さらに世界規模のデジタル複製社会に推移する状況を言論をもって跡づける行為は傾聴に値する。

とりわけp44-45の時代推移図と、p229の心と身体の対応図にまとめられた思想の現在点は記憶するに値する。

20世紀初頭のフロイトフッサールソシュールの業績に敬意を表しながら、21世紀のデジタルネットワーク環境における人間のあり方を脳科学の最先端の知見とともに人文学的に思考しよりよく対応しようとする意志が強く伝わってくるなかで、政治経済的なアピールに関しては有効な手段を打ち出せずタンタル批評家に終わってしまっている感は否めない。

世界的ネットワーク社会においては、生産者(労働者)としては被抑圧者(マゾヒスト)であるのは言うまでもなく、消費者としてまでも抑圧者(サディスト)から被抑圧者(マゾヒスト)に成り下がってしまっている状況を取り上げて、開放の道が基本的に閉ざされている状況を示しているにとどまっている。

安心安全を最優先とした社会を普遍的ネットワークの存在によって実現しようとしつつある21世紀初頭の現状を、記号と情報の学問によって捉えなおし、最新の情報通信環境を意識的に生きなおすことで自由を確立しなおそうと提言しようとしているのが本書の意図のひとつであるとは思うのだが、決して前途が開けているわけではない。最悪の事態を考え、現状から未来にかけての可能性についても楽観視せず、批判的に思考しながら尚且つニヒリズムに落ち込まない方向を堅持することが必要なのだと思う(ただ、全体としてエリート層の言説なので、そこから溺れてしまっていると思うものは―反発まではしないが―ちょっとシラケざるを得ず、ニヒリズムの克服は別経路で納得するものが必要になってくると思う)。

genron.co.jp

【目次】
はじめに 
講義 石田英敬東浩紀
 第1講義 記号論脳科学
 第2講義 フロイトへの回帰
 第3講義 書き込みの体制(アウフシュライベジステーム)2000
補論 石田英敬 4つの追伸 ハイパーコントロール社会について
おわりに

【付箋箇所】
9, 11, 19, 20, 22, 24, 25, 28, 29, 31, 33, 38, 40, 42, 45, 47, 48, 89, 96, 109, 142, 164, 167, 172, 180, 194, 205, 206, 221, 234, 250, 255, 262, 263, 266, 272, 279, 281, 306, 309, 313, 316, 318, 325, 327, 331, 364, 365, 380, 387, 392, 400, 410, 415, 417, 422, 428, 433, 435, 437, 

石田英敬
1953 - 

ja.wikipedia.org

東浩紀
1971 - 

ja.wikipedia.org