読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

デイヴィッド・シルヴェスター『フランシス・ベイコン・インタヴュー』(原著, 訳:小林等 ちくま学芸文庫 2018)

ジャコメッティのモデルをつとめ作家論を書いたことでも知られるイギリスの美術評論家・キュレーターであるデイヴィッド・シルヴェスターによるフランシス・ベイコンへの20年を超えるインタヴュー集成の書。訳者あとがきからも著者まえがきからも分かることだが録音テープをそのまま起こしたものではなく、著者による編集がかなり施された読み物として仕上がっている。そこには画家ベイコンの意向もだいぶ取り入れられているとおぼしく、絵画に図解的な物語性を求める姿勢を一貫して拒否する制作方針が常に強調されている。共同生活もしたことがあるほどの深い関係性を持った二人のあいだでのインタビュー記事なので、無批判かつ全面的に受け入れることには注意したほうがよいとは思えるが、20年以上にわたってベイコンが示しておきたかったであろう基本軸がぶれなく伝えられているところはしっかりと押さえておくべきところであると思う。ドゥルーズによって引用されている印象はあまり残ってはいないのだが、画家フランシス・ベイコンを語る時には頻繁に引用参照されている基本的文献である。

日本語版のちくま学芸文庫は、A6判文庫サイズは(105mm×148mm)で掲載図版は基本的にモノクロームではあるのだが、収録数は118点(参考他者図版含む)とかなり豊富で、しかもベイコンの基本的な表現形式は三幅対(トリプティック)であるため、比較的流通しているベイコンの画集よりもベイコンの作品をより広く知ることができる。現物のサイズ感や物質感や色彩は伝わらなくても、神経組織に直接訴えかけることを目指しているベイコンの志向性はかなりよく感じ取れる書物になっている。小さくて色彩のない図版であるがために、連続して図版のみを見返したりしているときにはかえって描かれているものの形態が持つ写実を超えた生命体としてのリアリティに接続されるような感覚が起こってもくる。

芸術におけるリアリティーとは、なにか非常に作為的なものであって、芸術家が再構築しなくてはならないものだと思います。そうでないと、単になにかをそのまま描き写した絵(イラストレーション)になってしまうでしょう。創造性がとても乏しいのです。
(インタヴュー8(1982年)より)

写真という技術が一般大衆層にも広まった社会での二次元芸術のあり方で、しかも抽象芸術や絵画デザイン化に向かわない具象表現の方向性を示し得た作家ならではの活力あふれる発言集。

www.chikumashobo.co.jp

【目次】
インタヴュー1(1962年)写実主義の崖っぷちを歩いているような絵を描きたいのです。
インタヴュー2(1966年)私のかねてからの願いは、大勢の人物が登場するにもかかわらず物語を伴わない絵を描きたいということなのです。
インタヴュー3(1971・73年)重要なのは隔たりです。絵が見る者から遠ざけられることです。
インタヴュー4(1974年)不公正は人生の本質だと思います。
インタヴュー5(1975年)自分は今ここにいるけど、存在しているのはほんの一瞬であって、壁にとまっている蠅のようにたちまちはたかれてしまうのだ、という事実をです。
インタヴュー6(1979年)「明日が来ては去り、また明日が来ては去り、そしてまた明日が来る」
インタヴュー7(1979年)偶然によって有機的な絵の土台が形成されると、自分の批評的な側面が活動を始め、その土台をさらに発展させていけるのです。
インタヴュー8(1982年)絵画にはもう自然主義的なリアリズムなどありえないのですから、新たなリアリズムを創造して、古いリアリズムを洗い流し、神経組織に直接伝わるようなものにするべきなのです。
インタヴュー9(1984年)芸術作品が残酷に見える

【付箋箇所】
7, 9, 13, 16, 18, 22, 24, 28, 30, 32, 33, 41, 44, 46, 58, 60, 62, 66, 70, 78, 80, 81, 82, 84, 88, 94, 112, 115, 127, 145, 152, 160, 168, 194, 201, 206, 217, 237, 240, 242, 246, 248, 271, 282

フランシス・ベーコン
1909 - 1992

ja.wikipedia.org

デイヴィッド・シルヴェスター
1924 - 2001

en.wikipedia.org

小林等
1959 -