読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エルネスト・ラクラウ, シャンタル・ムフ『民主主義の革命―ヘゲモニーとポスト・マルクス主義』(1985, 2001, 2012)

グラムシヘゲモニー(覇権)概念を根幹に据えた政治理論書。言語学言語哲学を参照して文芸寄りの理論展開をしているところもあり、政治的有効性とは別の面からも、知的に楽しめる一冊。

グラムシについては千葉眞の解説に頼るのが最も明快。

グラムシは、よく知られているように、下部構造による上部構造の基本的規定性(経済決定論)を相対化し、階級史観に基づく固定的な歴史的必然論を相対化した。マルクス主義の主要概念の相対化の作業は、具体的な歴史的・社会的「地形(terrain)」における「境界(frontier)」を媒介にして、言説や文化を基軸とした主導権の奪取という意味での、市民社会内部の諸領域におけるヘゲモニー闘争における重層的決定という概念に帰結していく。(「解説」p422-423)

本書の言説としてはあまりぱっとしない結論は以下の箇所。

左翼にとってのオルタナティヴは、明らかに社会的分断を新たな基盤の上に築き上げる自由‐保守主義とは異なる等価性の体系を構築することにおいてのみ可能となる。階層的社会の再構築の企図に直面して、左翼にとってのオルタナティヴは、みずからを民主主義革命の領域に全面的に位置づけ、抑圧に抗するさまざまな闘争のあいだに等価性の連鎖を作り上げていくことにこそある。それゆえに左翼の課題は、自由民主主義的イデオロギーを否認することにあるのではなく、むしろ逆にラディカル(根源的)で複数主義的なデモクラシーの方向にそれを深化させ拡充していくことにある。(4「ヘゲモニーとラディカル・デモクラシー」p382 太字は本来は傍点)

結論を導きだすにあたって論じられてきた内容は、結論よりも根源的で魅力的。

記号表現が曖昧なものであること、つまり記号表現が記号内容に固定化されないことが可能なのは、ただ、記号内容の増殖がある場合だけとなる。言説構造を脱節合化する〔脱臼させる〕のは、記号内容の貧困ではなく、その反対に多義性なのである。
そうしたことが、あらゆる社会的アイデンティティーの重層的に決定された象徴次元を打ち立てる。社会はどうやっても自己自身と同一になることができない。なぜなら、あらゆる結節点は自らを溢れ出ていく間テクスト性(intertextuality)の内部で構成されるからである。それゆえ、節合の実践は、意味を部分的に固定化する結節点を構築することであり、この固定化が部分的なものであるのは、社会的なものの開放性に由来する。社会的なものの開放性についていえば、それは、言説の場の無限性があらゆる言説から不断に溢れ出すことの結果なのである
それゆえ、あらゆる社会的実践は――おの諸々の次元のうちの一つにおいて――節合的である。それは自己定義された全体性の内的契機ではないので、すでに獲得されている何かの表現などではありえず、反復の原理のもとに全面的に包摂されることはありえない。むしろ、社会的実践とは新しい差異を構築することである。(3「社会的なものの実定性を越えて―敵対とヘゲモニー」p257 太字は本来は傍点)

服従より闘争、停滞より運動、同調圧力よりも差異の祭典。

www.chikumashobo.co.jp

内容:
1 ヘゲモニー―概念の系譜学
2 ヘゲモニー―新たな政治的論理の困難な出現
3 社会的なものの実定性を越えて―敵対とヘゲモニー
4 ヘゲモニーとラディカル・デモクラシー

シャンタル・ムフ
1943 -
エルネスト・ラクラウ
1935 - 2014
西永亮
1972
千葉眞
1949 -