読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジョン・デューイ『哲学の改造』(原著 1920, 岩波文庫 1968)

20世紀後半のアメリカ哲学の主要人物のひとり、リチャード・ローティが重視する20世紀前半の哲学者は、ハイデガーウィトゲンシュタイン、デューイの三人。ローティ自身がネオプラグマティズムの代表的思想家といわれるだけあって、三人の哲学者のなかでも一番影響を受けていると考えられるのがプラグマティズムの代表的思想家のジョン・デューイであるのだが、ハイデガーウィトゲンシュタインと比べると21世紀の日本ではあまり読まれていないかもしれない。元祖プラグマティズムの思想家のなかでも、パースやジェイムズのほうに思想展開の可能性をみて論じているケースが多い印象がある。そんな思想界の動向の中、デューイ推しのローティの著作を近ごろ何冊かまとめて読んでみたので、以前読んで感心した覚えのある『哲学の改造』を再読した。
『哲学の改造』は第一次世界大戦後の1919年に日本で行った連続公演を書籍化したもの。今回の再読にあたっては、実際のところ1929年のイギリスのエディンバラ大学のギフォード講義『確実性の探究』(東京大学出版会 2018)を先に読んで、デューイの思索と発信力の力に驚いたことがベースにあるのだが、比較的なじみがあり、分量も内容量もひかえめで、手に取る可能性も高い岩波文庫の『哲学の改造』から感想をまとめてみる。
デューイの主張の基本的な骨格はわりと感知しやすくて、超越的でゆるぎない真理を前提とする観念論を排し、経験的に随時更新される知的枠組みを形づくる運動に加担するというところである。トライアンドエラーの前提に、社会を作り上げながらそれに規定されてある生活と、生きる上で求める生物的形勢、安全のなかでの多様性の享楽の存在を置いているところが、小難しい哲学というよりも人生論的な分かりやすさ受け止めやすさがあって、かなりの魅力がある。「存在のエネルギー」が遍く存在するがゆえに「変化が遍く存在する」この世界を、内在的な視点から動的にとらえることを一貫して主張しているところは、なにかローティも属しているポストモダンの思想も予感させて、しかも浮つきが一切ない。経験知を超えた超越的真理に対する徹底した否認は、絶対的なものに対する信仰が薄れた現在においても、改めて確認しておくべきひとつの世界観であることは間違いない。現実の分析を進める終わりなき実験と啓蒙の運動としての知的活動。結果としてより善いものを生み定め、適用範囲をむやみに拡張することのない慎重な知的活動。おそらく、その知の道具的ふるまいぶりが、デューイのプラグマティズムの芯にある。

概念、理論、思想体系は、道具である。すべての道具の場合と同じように、その価値は、それ自身のうちにあるのでなく、その使用の結果に現われる作業能力のうちにある。
(第6章「論理学の再構成の意義」 p155-156)

 

「個人的」というのは一つの物ではなく、社会生活の影響の下に喚起され確立された、人間性の実にさまざまな特殊な反応。習慣、気質、力などを現わす総括的な用語であって、「社会的」というのも同じである。社会という言葉は一つであるが、限りなく多くの事柄を現わしている。これは、人々が結合によって彼らの経験を共有し、共通の利害や目標を作り出す、その方法のすべてを含んでいる。(第8章「社会哲学に関する再構成」 p211 )

 

なまの知覚現象ではなく、集団的な生体のなかで抽象化され記号化され蓄積され再喚起再利用された記憶と伝承の機能的な側面に重点を置いた人間の把握。他書においてもブレることのないデューイの思想の立ち位置を文庫本で確認できる貴重な一冊。
現在品切れ中ではあるが、復刊されたら手に取ってみて損のない一冊だ。

 

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目次:

第一章 哲学観の変化
第二章 哲学の再構成における幾つかの歴史的要因
第三章 哲学の再構成における科学的要因
第四章 経験観念および理性観念の変化
第五章 観念的なるものと実在的なるものとの観念の変化
第六章 論理学の再構成の意義
第七章 道徳観念の再構成
第八章 社会哲学に関する再構成

 

ジョン・デューイ
1859 - 1952