同じ年に生まれ、デルフトとハーグという近隣都市に住んでいたフェルメールとスピノザの、伝記的な出会いの可能性と、精神の近接性を描き上げた美しい書物。フェルメールのカメラ・オブスキュラのレンズを磨いたのがスピノザで、フェルメールの『天文学者』のモデルがスピノザであるという可能性を説き、酔わせてくれる哲学的絵画論。
スピノザは自然のかぎりなく繊細な様相の奥にも”実体”がひかえていることを語っている。その意味で、スピノザにあっては、無限の”様態”あるいは変容に唯一の現実が対応することは驚くにあたらない。ひとつの川はひとつの流れであるが、しかしながら光が川の表面で、引き裂かれた無数の紙のように戯れ、一見奇妙な小さな金色の点が限りなく多様に乱舞する。
フェルメールのデルタ[『デルフト眺望』に描かれた風景]の場合も同様である。そこでは光が自分の姿を映し出し、『エチカ』の第五部でスピノザの閃光のようなフレーズがわれわれの身体と魂に差し向けられるとき永遠が到来するのと符合する。つまり、われわれの存在のなかに潜む焼けつくような思いがたったひとつの海と結びついて二度と消えなくなるのだ。
(「序奏」p4-5)
スピノザを読む際にはフェルメールの絵画を、フェルメールの絵画を見る時にはスピノザの思想を喚起させてくれるような贅沢スイッチをジャン=クレ・マルタンは与えてくれた。
ジャン=クレ・マルタンはドゥルーズの弟子で、小説も書いている哲学者。フランスという国は魅力的な変人を絶えず生み出す凄い力をもっていて、すこしうらやましく感じる。
絵画好きには『物のまなざし――ファン・ゴッホ論』もおすすめ。悶えます。
バールーフ・デ・スピノザ
1632 - 1677
ヨハネス・フェルメール
1632 - 1675
ジャン=クレ・マルタン
1958 -
杉村昌昭
1945