読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

【ハイデッガーの『ニーチェ』を風呂場で読む】11. 渾沌=カオス 言葉の規定を超えるもの

瞬間の永遠回帰と「存在者全体の脱人間化と脱神格化」のカップリング。


回帰説の第三の伝達
手許に保留された覚え書における回帰思想
一八八一年八月の四つの手記
思想の総括的叙述 生としての、力としての、存在者の全体、渾沌としての世界

《渾沌》という言葉は、ニーチェの慣用語義では、存在者の全体についてはいかなる陳述もなしえないという拒否的な考え方を指している。こうして世界全体は、原理的に命名不可能な、言明不可能なもの――一つのαρρητον(言うべからざるもの)になる。ニーチェがここで世界全体について行っていることは、一種の《否定神学》であり、すべての《相対的な》――すなわち人間に関わる――規定を排することによって、絶対者を極力純粋にとらえようと努める神学である。世界全体についてのニーチェの規定は、キリスト教の神のない否定神学にすぎない。
(中略)
彼が明言するところによれば(《悦ばしき学問》109番)、「世界の全体的性格は……渾沌であるが、それは必然性の欠如という意味ではなく、秩序の欠如という意味においてなのである」。限定された世界の無始無終の――すなわち、ここでは永遠の――生成には、どこかから意図された規制という意味での秩序は欠けているが、必然性が欠けているわけではない。
(「思想の総括的叙述 生としての、力としての、存在者の全体、渾沌としての世界」p420-422)

諸力が交わるなかで析出される必然性。 

 

マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900

細谷貞雄
1920 - 1995
杉田泰一
1937 -
輪田稔
1940 -