読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

井上正蔵訳『マルクス詩集』(彌生書房 世界の詩 71 1979)詩人としてのカール・マルクス(1818-1883)

マルクスの詩はおもに大学時代に書かれたもので、情熱的な詩句にあふれている。1836年、18歳のマルクスは四歳年上の姉の友人でもある恋人イェーニーと周囲に秘密のうちに結婚の約束をしている。そのイェーニーに宛てて書かれた詩は、激しくもロマンティークな愛情にあふれていて、ためらいのない直情に、すこしたじろいだりもするのだが、ホメロスにはじまり、シェークスピアラシーヌ、ゲ-テやシラー、そしてハイネなどの先行する偉大な詩人に深く傾倒して育まれた詩の魂、詩の才能は、かなり魅力のある光を放っている。恋歌ばかりではなく、世界を歌う歌もまた、たんなる思想詩におわることなく、ひとつの作品として充実しているものが多い。

 

人間(われら)は苦悩とともに老い、
 絶望しつつ滅びねばならぬ。
そのとき皮肉にも見る、
 天と地が在るということを。

人間(われら)がずたずたになり、
 世界が人間(われら)の内部で溺れても、
どんな木の幹も裂けて飛び散ることなく、
 どんな星も落ちはしないことを

そうでなければ、おまえたちはみな
 深い青い海に葬られよう。

(「星たちへの歌」部分)

 

この詩の約10年後には『ドイツ・イデオロギー』が書かれていて、思想家としての活動のなか詩人の魂が直接おもてに出てくることはなくなってくるが、マルクスの散文は、思想と情動との高圧のもとでの融合がマルクスのなかでいつもあったのではないだろうかと思わせてくれもする。

共産主義とは、われわれにとって成就されるべきなんらかの状態、現実がそれに向けて形成されるべきなんらかの理想ではない。われわれは、現状を止揚する現実の運動を、共産主義と名づけている。この運動の諸条件は、いま現にある前提から生ずる。

 

カール・マルクス
1818 - 1883
井上正蔵
1913 - 1989

 

参考:

uho360.hatenablog.com