読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

カール・マルクスの学位論文『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との差異』(原書 1841)と七冊のノート 渦巻きとクリナメンとダイモン

マルクス、二十三での哲学博士取得論文。たんに自己意識の平静を目的としており実証的に観察し考察された学説ではないと批判されてきたエピクロスの自然哲学を、原子概念における形式と質量あるいは本質と現存在との無矛盾性という視点から哲学的に再評価することを目的とした論文。原子の魂とも呼ばれる非感性的な抽象的個別性の概念としてのクリナメン(偏り)が世界をつくるというエピクロス的原子論に存する反普遍的な偶然性、他の哲学者たちからはデモクリトスの原子論に余計につけられた不必要な変更点とされたクリナメンの偶然性を、逆に本質から現象が発出する際の内的で自己関係的な必須の働きとして妥当なものと取り上げるマルクスの視点変換が肝となっている。

原子の反撥においては、直線による落下において措定されていた原子の質料性と、偏りにおいて措定されていた原子の形式規定とが、総合的に結合されている。
デモクリトスは、エピクロスとは反対に、エピクロスにとって原子の概念の現実化であるところのものを、強制的な運動、盲目的な必然性のなせる業としている。われわれがすでにうえで聞いたように、デモクリトスは、必然性の本体として渦巻き(δινη)を想定しているが、この渦巻は原子の反撥と相互衝突とから生ずるものである。それゆえ、デモクリトスは、反撥において、ただ質量的な側面、つまリ分散を、変化をとらているだけであり、観念的な側面、つまり、反撥において他者にたいするいっさいの関係が否定され運動が自己規定として定立されるという、観念的な側面、がとらえられていない。
(第2部 デモクリトスの自然学とエピクロスの自然学との個別的な差異 第1章「原子の直線からの偏り」 大月書店マルクスエンゲルス全集第40巻 p213-214 )

この後アリストテレスデモクリトス批判を引いて原子が運動すると言うならその運動がどういったものなのか、運動の最初はどういったものかが述べられなければならないことを読者に想起させ、デモクリトスの原子に外的にはたらく渦巻きはそれを説明できておらず、エピクロスの偏りは存在の表現として原子の性質をつくりだす内的なものとして、原子概念のうちに含まれることで説明をなしているという具合に理解を促す。
この辺の偏り概念の私の読み取りの成否についてはずいぶん妖しいところがあるのだが、マルクスエピクロスの側に与していて、そのロジックがデモクリトスに比べて不足なく充実しているととらえているということだけは読み間違いようはない。『デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との差異』でググってみると柄谷行人の『マルクスその可能性の中心』なども参照した大学の紀要論文や大部のレポートなどが出て来るので、気になったら参照していただきたい。
マルクスの学位論文自体は、短いわりに錯綜した見えづらく味わいづらい差異を対象にしているので、2回読んでもどこぞに置き去りにされた感が残ってしまうのだが、それにくらべて全集に併載された学位論文用に取られた七冊ものノートは、マルクスの学習の姿勢や、古典作品の読み方などがより身近に感じられて、気楽に読み手側の意見も持てるような気にさせてくれる。
ルクレティウスを筆頭に古典からの膨大な筆写は哲学研究者としての熱さや、マルクスの文体を生みだしたところの教養形成の現場を見ているようで、感嘆に値するし、引用文の合間に付された思索メモは、マルクスの迸る才気を感じさせてくれるものが多く、論文とは違った面白さを与えてくれている。個人的には第2ノートのソクラテスとダイモンに関してのコメントが一番興味を引いた。ソクラテスにおけるダイモンは、エピクロスの原子における偏り(クリナメン)と相同性を持つようなものなのではないかと思って、夜中ひとりでハッとして面白かったのである。

ダイモニオンは、ギリシア的生活にとって哲学がたんに内的なものであるとともにたんに外的なものであるということの、直接的な現象である。ダイモニオンの規定によって、主観は経験的に個別的なものとして規定されているのであって、それは、この主観が、実体的な・したがって自然によって制約された・生活のなかにあって、この生活からの自然的な分裂だからである。なぜなら、ダイモニオンは自然の規定として現象しているからである。ソピストたちは彼ら自身、まだ自分の行為から区別されていないダイモンたちである。ソクラテスはダイモニオンを自分のなかに担っているという意識をもっている。ソクラテスは、実体が主観のなかで自己自身を失う実体的な仕方である。
エピクロスの哲学 第2ノート 大月書店マルクスエンゲルス全集第40巻 p67 )

ダイモニオン=クリナメンソクラテス=ある原子、ということを思うように誘ってくれたことだけでも、マルクスの初期業績には感謝したい。180年前の若く生き生きした思考との接触だった。

 

マルクス=エンゲルス全集 - 株式会社 大月書店

学位論文の目次:

第1部 デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との一般的な差異
 Ⅰ 論文の対象
 Ⅱ デモクリトスの自然学とエピクロスの自然学との関係にかんする諸判断
 Ⅲ デモクリトスの自然哲学とエピクロスの自然哲学との同一性にかんする諸困難
第2部 デモクリトスの自然学とエピクロスの自然学との個別的な差異
 第1章 原子の直線からの偏り
 第2章 原子の諸性質
 第3章 不可分な諸原理と不可分な諸構成要素
 第4章 時間
 第5章 天界・気象界の事象

カール・マルクス
1818 - 1883
大月書店マルクスエンゲルス全集第40巻 マルクス初期著作集(1975 翻訳統一:土屋保男)