読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

折口信夫『口訳万葉集』中 (文会堂書店 1917, 岩波現代文庫 2017)

折口信夫による日本初の万葉集現代語訳の第八巻から第十二巻までを収める文庫本。

万葉仮名を現代表記に改め、句読点を付した本文に、口語現代語訳を添えた体裁は、万葉集を読み進める速度を格段に上げ、鑑賞の態度を著しく変えた画期的な業績であるのではないかと、現在において読み返すことで、衝撃とともに再認できる、貴重な時空を現出させている。

中巻の大きな部分を占める恋歌は、個性の現われが乏しい形式的な詠嘆に収まるものが多く、現代的な感覚からすると、その量的占有の意味合いを肯定的に探るのは難しいところではあるのだが、その単調さが、万葉集成立までの時代の雰囲気を写し出していると考えるなら、貴重な時空間をくぐり抜けられる稀有な領域であるとも考えられる。

逢う逢わない、噂になるならない、焦がれる厭う。歌による形式的なやりとりの中に、ゆらぎつつ顔を覗かせる、消しようのない個性や個別的な状況があらわれたとき、世界は震える。限定された領域であっても激震が走っている世界の様相が歌に刻印されている。

折口信夫は、万葉の歌を愛し、解釈しながら、時に歌に対する愛着を、簡潔な評語によって端的に訴える。唐突に表れる、「傑作」、「佳作」の評価。折口の肯定的評言の出現傾向にブレはないものの、一般的傾向とは若干のズレがあり、各読み手自身が持つ感覚との差異を吟味するという楽しみも作為的ではなく埋め込まれている。

私はこの歌がいいと思うのだけれど、折口信夫はこちらが傑作だと言っている。どういう読み方の違いがあるのあろうと、まずは答えを棚に上げた興味から万葉集にも折口信夫にも関わってみようという意識が生まれる。すぐに成果は出ないかもしれないが、そこそこ充実した探究の時間が待ち構えてくれていそうな予感がする。

 

折口が傑作と言って、私も同調した歌

1714:
 落ち激(たぎ)ち流るる水の、岩に触り、澱める淀に、月の影見ゆ
3057:
 浅茅原(あさぢふ)の茅生(ちふ)に足蹈み、心ぐみ、我が思う子らが家の辺(あたり)見つ
3129:
 桜花咲きかも散ると見る迄に、誰かも、こおに見えて、散り行く

 

折口が傑作と言って、私が同調しなかった歌

1579:
 朝戸開けて物思ふ時に、白露の置ける秋萩、見えつつ、もとな
2420:
 月見れば、国は同じく、山へなり、愛はし妹がへなりたるかも
3100:
 思はぬを思ふと言はば、真島棲む雲梯ノ杜(うなでのもり)の神し、知らさむ

※同調しないと言っても、積極的に採らないというだけで、たとえば音の繰り返しに敏感なところんどは、とても共感できる。

 

折口がノーマークで、私が傑作と思った歌

2664:
 夕月夜明時闇の朝陰に、我が身はなりぬ、汝思いかねて
2734:
 潮満てば水泡(みなわ)に浮ぶ真砂(まなご)とも、我はも生ける、恋ひは死なずて
2887:
 立ちて居る便(たどき)も知らに、我が心天つ空なり。地(つち)は蹈めども

いずれにせよ折口信夫による句読点付きの本文解釈と、現代口語訳が判断の基準となっているので、歌を採る採らないは、折口の仕事に完全に依存している。自身の仕事の中で、自身の判断とは別の読み方を許容できるというのは、すぐれた仕事のひとつの指標なのだと思う。

 

www.iwanami.co.jp

【付箋歌】
1420, 1469, 1658, 1714, 1777, 1877, 1960, 1964, 2007, 2104, 2132, 2466, 2492, 2592, 2677, 2664, 2734, 2842, 2869, 2887, 2995, 3057, 3094, 3097, 3129, 3137, 3194, 3201, 3208, 3211

折口信夫
1887 - 1953

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com