読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

丸谷才一『後鳥羽院 第二版』(筑摩書房 2004, ちくま学芸文庫 2013)

初版は1973年に筑摩書房から刊行された「日本詩人選」の10巻目の『後鳥羽院』で、翌1974年には読売文学賞の評論・伝記賞を受賞している名著で、第二版の第一部部分をなす。それから30年、1978年の『日本文学史早わかり』や1999年の『新々百人一首』など、新古今を頂点とする王朝和歌の世界に関する著作を継続的に打ち出しながら、日本文学研究者にも影響を与えてきた作家丸谷才一の、後鳥羽院をめぐる考察を続けてきた成果3篇を第二部に新たに付け加えた決定的に重要な一冊。
「『後鳥羽院御集』など誰も読まない」という「歌人としての後鳥羽院」冒頭の挑発的な言葉に、例えば5歳年長の塚本邦雄などのようにただ一人でも抵抗できるくらいに徹底的に読み込んでいる人はいても、世間一般的には広く読まれることも真剣な研究対象になることも稀であった。

何しろ『国歌大観』正続にすら『後鳥羽院御集』も『後鳥羽院御百首』も収められてないのだから、近代日本文学ではこの歌人はすこぶる無視されてゐた。
(「宮廷文化と政治と文学」p251 )

代表的な歌人の家集が読めない、そんなことをいえば藤原定家の『拾遺愚草』もそれほど容易に読める環境には21世紀の今現在もなってはないし、藤原良経『秋篠月清集』や慈円『拾玉集』だって思い立ってすぐに読めるというものではないのだが、丸谷才一の『後鳥羽院』は批評作品である上に、一種の後鳥羽院特選アンソロジーにもなっているために、かなりまとまった分量の作品を一級の解説とともに読める状況になっていて、そこから歌人後鳥羽院再評価を促しもしていて、素晴らしい鎮魂の振舞いとなっている。しかも、歌人評価の視点のとり方が世界的でもあり、さらに日本文学のゆるぎないひとつの類型でもあることを、刺激的ではあるが突飛ではない納得できる論旨で重層的に展開しているところは、さすがと思わせる。英文学者でもあり、ジェイムズ・ジョイスの翻訳者であり批評家でもある自身の専門分野の消化の鍛錬から、独特ではあるが万人向けでもある消化酵素が生まれ出たような見方をとらせるものであった。

『新古今』歌人たちの求めた余情妖艶(よぜいようえん:直接的な表現以外の連想や余韻によつてかもし出す王朝的な優美)といふのは、縹渺たる味はひによつて意味と情趣を増幅するもので、象徴派およびその影響下にあるモダニズム文学に通じる趣きがある。余情妖艶の風はそれ以前からの王朝和歌の積み重ねのせいもあるけれど、藤原定家の探究と後鳥羽院の奨励によつていよいよ発達し洗練されました。
(「王朝和歌とモダニズム」 p379 )

モダニスト後鳥羽院という視点。祭祀や神話に直接関与する立場でもあった後鳥羽院の批評眼と実作者としての感覚は、より近代側に寄りその傾向を強めようとした定家の芸術志向と比較して、神話や伝統に意識的に近寄ろうとした20世紀初頭の前衛芸術家の立場により近いものであるという指摘は刺激的。象徴主義と新古今歌人の感覚の近さは、塚本邦雄白川静も述べていたと記憶しているが、丸谷才一のように明示的に論を展開した人物はいなかったような気がしている。
文学に興味がある人間は読んでおいて損のない一冊である。

いろいろ興味ののばし甲斐もある。
玉葉』、『風雅』、折口信夫『女房文学から隠者文学へ』、北原白秋蜀山人、正徹、紀貫之菅原道真、T・S・エリオット、ジョイス、ジイド、ヴァレリー、・・・

 

www.chikumashobo.co.jp

【付箋箇所】
24, 41, 57, 69, 82, 85, 99, 124, 126, 160, 164, 168, 197, 202, 208, 219, 221, 250, 264, 269, 279, 283, 295, 321, 323, 332, 347, 363, 376, 386, 389, 396, 398, 446


目次:


歌人としての後鳥羽院
へにける年
宮廷文化と政治と文学

しぐれの雲
隠岐を夢みる
王朝和歌とモダニズム

丸谷才一
1925 - 2012
塚本邦雄
1920 - 2005

    

参考:

uho360.hatenablog.com

uho360.hatenablog.com