読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

思潮社現代詩文庫『尾形亀之助詩集』(思潮社 1975)つまづく石でもあれば私はそこでころびたい

「つまづく石でもあれば私はそこでころびたい」は第三詩集の巻頭に置かれた言葉。この時、尾形亀之助三十一歳。生前刊行した最後の詩集で、その後十二年、今現在もつづく日本の代表的詩誌「歴程」の同人になって詩を発表することもあったが、餓死による自殺願望を語るようななかで創作の意欲も能力も薄れていったようである。本書は詩人のほぼ全詩作を収めた詩選集であり、その詩を読むとともに年譜で詩人の人生をたどって行くと、つまづきそうな石にはかならずつまづいて転んで泥をかぶるような生き方をした人なのだなと思った。破滅型というよりも居心地悪げに生きている時間を送った人のように感じる。明治三十三年生まれの尾形亀之助。生家は宮城県の素封家で、金銭的苦労をせずに育ち、成人してからも生家が没落するまでは家に頼って暮らしていた。二度の結婚で、四男二女の六人の子を成していたが、尾形亀之助と暮らしている姿はだいぶつらそうな気がした。尾形亀之助本人も生きづらく感じていたのだろうが、つまづきつづけることを良しとする詩人と一緒に生きるのはかなりしんどいことだろう。自殺願望があるなか子供を作ってしまうのは、時代が違うとはいえ、褒められたことではなかろう。

自分の眼の前で雨が降つてゐることも、雨の中に立ちはだかつて草箒をふり廻して、たしかに降つてゐることをたしかめてゐるうちにずぶぬれになつてしまふことも、降つてゐる雨には何のかゝはりもないことだ。
わたしはいくぶん悲しい気持になつて、わざわざ庭へ出てぬれた自分を考へた。
(「学識」部分)

「わざわざ」雨に打たれて濡れることで雨と自分の関係をたしかめてしまう詩人がいる。そんなことしなくてもよいだろうにと思うのだが、詩としては「悲しい気持」をかかえながら「わざわざ」たしかめている人がいるところにこころ動かされている。褒められたことではないことにこころ動かされ興味を持ってしまうというのは、詩が醸しだしている悲しい美しさと淋しい頑迷さとひそかに共犯関係を結んでしまっている証拠なのだろう。

 

尾形亀之助
1900 - 1942


参考:

uho360.hatenablog.com