2022年1月、『伊勢物語』を終わりから逆に読みすすめでみた。
「大抵の書物は終わりから読んだ方がよくわかる」という方法論を知ったのは、約三十年前、現代音楽におけるビッグネームであり、稀有な演奏を繰り出すピアニスト、そして優れたカフカの読み手でもある高橋悠治の『カフカ/夜の時間』による。
全百二十五段を終段からさかのぼって作品を読んでみると、なんだかしみじみとした感興が湧いてきた。
在原業平を思わせる男を物語の中心に据え、その元服から死の際にいたるまでのを描いている伊勢物語。男の数多くの女性遍歴のなかでのエピソードが歌とともに切り取られているのに対し、よくもまあマメに交際しているものだというのがこれまでの基本的な印象であったのだが、今回病を得て死を覚悟したところから遡るようにして人々との交流を成人の儀式の日までたどり直すという読み方となったので、まめまめしく心を尽くしつづけたいい人生なのだなという感想も付け加わった。
第百二十五段
むかし、男、わづらひて、心地死ぬべくおぼえければ、
つひに行く道とはかねて聞きしかど昨日今日とはおもはざりしを第百二十四段
むかし、男、いかなりけることを思ひけるおりにか、よめる。
思ふこと言はでぞただにやみぬべきわれとひとしき人しなければ
「われとひとしき人しなければ」、自分と全く同じ心の人などいないのだからということで、余計な言葉をつつしむというところを最終前段においてまとめているところに、逆に人々との違いがありながらも共感や憧れをよぶ心の動きの一般性も、とくに歌のなかに表現されていることを浮かび上がらせているようで、構成として見事だと思った。
参考: