読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

金春禅竹(1405-1471)『歌舞髄脳記』ノート 05. 「余説」

神楽・申楽・猿楽と和歌との切り離せない関係性を記憶にとめながら読み通す。

神楽の家風に於いては、歌道を以て道とす。歌又舞なり。此歌舞、又一心なり。形なき舞は歌、詞なき歌は舞なり。(「序」から)

 「序」にある歌と舞の関係性の定義から、最初から最後まで対象を説ききった凝集度の高い能楽書のまとめの部分。

05.「余説」で説かれた能の芸術の位と取り合わせられた歌

俗なる体   

 俗に荒き風をも、上士の心得てなす時  
 西行法師  枯野埋む雪に心をしかすればあたりの原に雉子立(たつ)なり
   ※枯野うづむ雪に心をしらすればあたりの原に雉子鳴くなり

先人の芸能の位   

世阿弥の父 山河を崩す勢ひありし  
 藤原定家  ゆきなやむ牛のあゆみに立(たつ)塵の風さへ暑き夏の小車
 藤原定家  花盛り霞の衣ほころびて峰白妙の天の香久山
   ※花ざかり霞の衣ほころびてみねしろたへの天のかご山

祖父 狂へる松の苔むす枝に霜の置けるがごとし  
 源径信  沖津風吹にけらしな住吉の松の下枝を洗ふ白波
   ※沖つ風吹きにけらしな住吉の松のしづえを洗ふ白波
 紀友則  君ならで誰にか見せん梅花(うめのはな)色をも香をも知る人ぞ知る
   
犬王大夫 ささめきかけて、物はかなく、とぢめなく、大に匂ひ、かげありけるなり  
 素性法師  見わたせば柳桜をこきまぜて都は春の錦成(なり)ける
   ※見渡せば柳桜をこきまぜて都ぞ春の錦なりける
世阿入道 曙の花に月の残れるがごとし  
 藤原定家  山の端を分きてながむる春の夜も花のゆかりの在明の月
   ※山の端をわきてながむる春の夜もはなのゆかりの有明の月
 藤原定家  花の香の霞める月にあくがれて夢もさだかに見えぬ比(ころ)かな
   
観世十郎 遠山に霞める花のごとし  
 藤原定家  足引の山の端ごとに咲花の匂ひに霞む春の曙
   ※あしびきの山のはごとにさく花の匂ひに霞む春のあけぼの
   
歌舞をなす位、二種   

心・詞幽なるかた   
 紀貫之  逢坂の関の清水にかげ見えて今や引くらん望月の駒
   
心・詞巧みにして、俗ながら興あるかた   
 藤原高遠  相坂 ( あふさか ) の関の岩かど踏みならし山立ちいづる霧原の駒
   
無上乃位、二種   

閑かなる位   
 在原業平  月やあらぬ春や昔の春ならぬわが身一つはもとの身にして

荒れたる位   
 藤原定家  嶺の嵐浦の波風雪寒(さえ)てみな白妙の秋の夜の月
   ※峯のあらし浦の波風ゆきさえてみな白妙の秋の夜の月
 藤原俊成  荒き海きびしき山の中なれど妙なる声は隔てざりけり
   ※あらき海きびしき山のなかなれど妙なる法はへだてざりけり
   
理について二種   

余情・理、ともに知られて・・・   
 西行法師  哀れいかに草葉の露のこぼるらん秋風立ちぬ宮城野の原

なにの理も知られずして・・・   
 慈円  わが恋は庭の村萩うら枯れて人をも身をも秋の夕暮
 藤原定家  つりあへず花の千草に乱れつつ風の上なる宮城野の露
   ※うつりあへぬ花の千草にみだれつつ風のうへなる宮城野の露


「余説」、『歌舞髄脳記』はここまで。

 

金春禅竹世阿弥娘婿)
1405 - 1471
世阿弥
1363 - 1443
観世元雅(世阿弥長男)
1394? - 1432