空海が即身成仏思想を説いた『即身成仏義』を中心に、西欧の学知の世界で新機軸を打ち出しながら研究を進める三人の柔軟な知識人をむかえて、空海思想の現代的意味をとらえようとしたシンポジウムの記録と、シンポジウムに関連した論考の集成からなる一冊。
当時高野山大学の前学長で教授職にあった松長有慶をホストに、進行役に著作『空海の夢』のある松岡正剛にむかえ、神秘の過程の解読者としてのコリン・ウィルソン、物質の構造の解読者としてのフリッチョフ・カプラ、生命の文法の解読者としてのライアル・ワトソンが、何ものをも排除しない空海の曼荼羅思想のダイナミズムを、オープンシステムにおけるオートポイエーシスなどに結びつけながら語り合っているところが特徴で、密教を現代科学と結びつけながら活性化させようとしているところに風通しのよさを感じる。空海が当時の思想の最先端を学びさらに一歩を進めたのと並行して、物理化学的な最新技術にも通じていたことを考えると、現代の科学の最新の研究成果と新思想との新結合のなかで伝統思想をとらえ直そうとしていることは、空海思想に相対するのに正しい姿勢であように思えた。
マズローの心理学に依りながら楽観主義と至高性の体験について語るコリン・ウィルソンン、自己組織化するシステムをとりあげながら非生命システムと生命システムの境界面の探究に入っていくフリッチョフ・カプラ、神秘主義と科学が邂逅する場を科学の言葉で非神秘的に追っていくライアル・ワトソン。それぞれが空海に沿って興味深い言葉を残してくれていったことは、35年後のいまでも貴重に思える。
また、まとめ役の松岡正剛がシンポジウムを受けて「集中」と「編集」あるいは「疲労」と「覚醒」から「即身」の一側面を鮮やかに浮かび上がらせている論考「ピーク・モメント―即身の午後」も大変刺激的。不安や疲労といった負のイメージに沈んでいる状況を価値転換させる文章はぜひ記憶にとどめておきたいと思わせる。
だいたい議論などというものは、疲れてから成果が出はじめる。ヴァン・ゴッホやパウル・クレーが日記に書いた秘密もそこにある。気分の退落が来なければ生まれない成果がどのようなものであるかは、そのほかたとえば世紀末ウィーンのマッハ、ボルツマン、ヴィトゲンシュタイン、フロイト、ノイラートらを眺望するとわかりやすい。また疲労が覚醒とつながる例としては、断眠による修行の東西史を見るとよい。
(「ピーク・モメント―即身の午後」より)
「実のところは、不安とピーク・モメントは裏はらなのである」というまとめ方にもなんだか勇気づけられて、読む幸せにしばらく揺蕩っていられるのだった。
【付箋箇所】
31, 32, 61, 74, 80, 111, 116, 117, 132, 142, 178, 187, 189, 199, 205, 222, 266, 283
目次:
密教のシンボリズム 松長有慶
即身をめぐって―存在と速度 コリン・ウィルソン+フリッチョフ・カプラ+ライアル・ワトソン+松長有慶+松岡正剛
悲観主義の超克のために コリン・ウィルソン
パラダイム・シフトと科学の役割 フリッチョフ・カプラ
自己と環境の間で ライアル・ワトソン
高野山とコンピュータ ライアル・ワトソン+中沢新一
ピーク・モメント―即身の午後 松岡正剛
マンダラとシステム工学 渡辺茂
科学と宗教の相似性 石川光男
法身の生態系 高木訷元
ユングのマンダラ 河合隼雄
見えない情報ネットワーク 下河辺淳
高地の瞑想・低地の瞑想 山折哲雄
思想の巨大なパンテオン 佐藤健
マンダラの起源と変容 栂尾祥瑞
中国のマンダラ的世界像 中野美代子
「二而不二」、宇宙的融合 杉浦康平