読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

エミリー・シャンプノワ『アール・ブリュット』(原著 2017, 西尾彰康・四元朝子訳 白水社文庫クセジュ 2019)

ラカン派の精神分析家でパリ第八大学の造形美術学科で講義も行っているエミリー・シャンプノワによるコンパクトなアール・ブリュット入門書。
アール・ブリュットは20世紀フランスの画家ジャン・デュビュッフェが1945年に提唱した芸術作品の概念で、既成の価値観にとらわれず、作家が自らの衝動によって創作した、他者による鑑賞や購入を前提にしていない造形作品で、日本語では「生(「なま」あるいは「き」)の芸術」と呼ばれるものである。提唱者のデュビュッフェ自身は、「障害を持つ人の芸術」や「アウトサイダー・アート」とは厳密に区別することを晩年にいたるまで一貫して主張していたが、実際のところは、障害者による強迫的で過剰な表現傾向をもった作品一般に適用されることが多い芸術上の概念となっている。特に、美術界の人物よりも障害者を支援する福祉領域の人物によってアート・ブリュットの展覧会等が開かれることの多い日本にあっては、この傾向が極めて強い。
本書は、アール・ブリュットの概念を、提唱者デュビュッフェの時代時代における発言から丁寧に跡づけ、提唱者に沿った定義を与えようとするとともに、デュビュッフェから離れたところで広範に用いられるようになった概念の展開を手際よく解説してくれている。また、ラカンの理論によるアール・ブリュットの考察が通奏低音のように流れていて、時に「享楽」や「サントーム」といったラカンの用語をもちいてアール・ブリュットの作家の創作行為を精神分析的に解釈しているところにも特徴がある。デュビュッフェが聴いたり読んだりしたら、おそらく不快に思うであろう解釈ではあるが、説得力がありたいへん参考になる。

患者は、外からやってきたものと感じられる内なる脅威に抵抗するものとして創作を行うのではないか。創作行為は、彼らを享楽の横溢から救い出す行為なのだろう。享楽の横溢は、精神病の原因でもあり、唯一の解決方法でもあり、一つの補填のかたちである。

享楽は快楽とは違って苦痛や死と結びつきの強い、フロイトの「死の欲動」にも近いラカン派の概念で、アール・ブリュット作家の創作の必然性を見事に言い当てているものであろう。

www.hakusuisha.co.jp

【付箋箇所】
21, 26, 30, 49, 52, 66, 68, 80, 101, 116, 119, 120

目次:

はじめに
第一章 アール・ブリュットの起源
第二章 ジャン・デュビュッフェアール・ブリュットの考案者
第三章 壁を超えて、アール・ブリュットを定義する
第四章 アール・ブリュットという概念の発展
第五章 独創的な素材と形式
第六章 愛好家とコレクター
第七章 近年のブーム
第八章 アール・ブリュットにおける専門的な立役者
第九章 アール・ブリュット現代アートと融合するか?
まとめ