心理学・精神医学
自身の論考自体を芸術的かつ哲学的なものとしようとしているようなところがあり、マッチョで錯綜した文章で、すんなり読ませてはくれない。面白いところもいろいろあるのだが、ちゃんとした読解には体力と知力と時間の積み重ねが必要なようで、フレンドリー…
「講義録1」の後の5年間くらいの講義で、考察はだいぶベルクソン自身の哲学に寄ってきている。それでも道徳哲学をソクラテス、ライプニッツ、カント、ミル、スペンサー、ベンサムなどを介して論じているところは哲学教師的で、ベルクソン哲学がそこからどの…
ベルクソン20代の大学入学資格試験クラスでの講義録。試験対応のカリキュラムということもあって単著のベルクソンとはずいぶん趣きが違っていて新鮮。 人間の抽象能力と選択判断の能力としての意志について重点が置かれ、デカルト、スピノザ、スペンサー、…
幸福は失われた時に気づくもの。支障がなければ基本的に意識に上らない日々の状態が、その人がその人であるがままの幸福にある状態で、支障をきたすことが不幸、というよりも、己自身は己である限りにおいていかなる場面においても幸福であり、それ以外の幸…
ピンとくる例示が多い楽しく読める入門書。その上内容も充実していてラカン思想に関する情報定着がずば抜けてよい。欲求、要求、欲望の違いを想起する際は本書が真っ先に浮かんでくるようになった。※システム業界の著作でHead Firstシリーズというのがあるが…
主体が「シニフィアンの蓄電池」であるというフロイト‐ラカンの認識を取り上げるなど、言語によって構成される人間存在の在りようを中心にラカン思想を取り上げるひとつの入門書。ラカンの全体像は見えにくいかも。全体像というよりラカンの方向性についてよ…
1960-1961に行われたラカンの第8セミネール。 プラトンの『饗宴』から欲望の諸相と精神分析の現場から導き出された転移の現象に関しての構造を浮き上がらせて見せる上巻と、ポール・クローデルのクーフォンテーヌ三部作の注釈から愛と欲望についてさらに考…
1959-1960に行われたラカンの第7セミネール。ラカンのセミネールは主として弟子筋の分析家を対象に行っている講義で、門外漢としては疎外感を味わうこともままある内容ではあるのだが、この第7セミネールと次年度の第8セミネールは、ギリシャ悲劇、ソクラ…
1957-1958に行われたラカンの第5セミネール。 幼児期に否応もなく引き受けることになる連鎖するシニフィアンの使用法、自ら望まずその連鎖の一要素となってしまっていることを負債として拒むことが、より一層囚われの身を深めていくという構造を、パロルの…
1956-1957に行われたラカンの第4セミネール。フロイトの残した症例「ハンス少年」の読み解きを中心に、主体と特徴的な対象との関係について考察を行っている。絶対的無力の状態の幼年期の体験が自我と主体の様相を決定していく様子がくりかえし丹念に語られ…
1955-1956に行われたラカンの第3セミネール。シュレーバーの回想録を読み進めながら精神病の特質を神経症との違いから考察していく講義録で、弟子筋の精神分析家に対しての教育的側面が強く表れていて、分析家ではない一般読者には少々近寄りがたい空気も強…
ラカンのセミネール第2巻は『快楽原則の彼岸』をひとつの中軸テキストとして扱っていて、反復と機械という視点から人間を検討しているところが特に面白い。 以下、気になった点のメモ。 ・利己愛が騙すものであり、自我という想像的機能が欺く性質のもので…
岩波文庫から代表作『精神の生態学へ』と『精神と自然』とが刊行されて、手元においておくことが容易になったベイトソン。本書『天使のおそれ』は『精神と自然』で次回作として予告されていたものだが、ベイトソンがなくなってしまったために娘のメアリー・…
医学、メディア、言説、享楽などさまざまな領野における経済性と効率性に対する戦いの宣言書。のっぺりとして歯止めの効かなくなっていく内面と社会に対して、起伏と陰影のある溜めと含みを持った反現代的とも言える内面と社会を擁護している。時に戦いの相…
日本でもラカン派の精神分析学者による著作は数多く出版されているが、バロック的といわれ容易に読解を許さないラカンの著述や講義を体系化し一般化し世界的に普及させた功績は、ジャック・ラカンの弟子であり娘婿でもあるジャック=アラン・ミレールにある。…
ラカンが最も多く参照する哲学者であるアリストテレスにおける「原因」と「偶然」の概念から、ラカンの精神分析がいかなる部分を継承し、さらに超えていったかを、主体の構造という観点から説いた一冊。著者のフランス語の学位論文をベースに翻訳再編集した…
およそ二年ぶりくらいの再読。ほとんど忘れているが前回と比べて違うところに気がひかれているという感触もあり頭から通読した。借り物だと意図せず再読することもあるので、そこは流れに任せている。 不安は裏切らない、騙さない。他なるものの脅威としてあ…
ラカン派の精神分析家でパリ第八大学の造形美術学科で講義も行っているエミリー・シャンプノワによるコンパクトなアール・ブリュット入門書。アール・ブリュットは20世紀フランスの画家ジャン・デュビュッフェが1945年に提唱した芸術作品の概念で、既…
副題の「ユングの文学論」から具体的作品分析などを期待していると、早々に雰囲気が違い一般的な文学論ではないことが分かる。文芸作品を含む芸術作品には意識の統制から排除された生命エネルギーが顕現することが多いことを、意識と無意識の相補的関係と、…
ラカンの初期のエクリチュール。初期からのフロイトへの傾倒を知るに貴重な資料5篇。講義録ではない書かれたものとしてのテクストの存在感があるけれども、難解といわれる『エクリ』以前の作品なので、論じ方はいたって素直。読みやすく、とくに強調したい…
欲動のもとめる対象「対象a」あるいは「小文字の他者」をめぐる本格的考察が展開されることになる起点となったラカンのセミネール。聴講対象者はラカン派の分析家で、セミナールも10年目となると、前提されている知識が多くてなかなか全体像がつかみにくい…
哲学者アラン・バディウがいうところの「反哲学」とは、知的な至福の可能性と真理をめぐる思考である哲学の信用を失墜させるような仕方で同定した上で、哲学とは異なった思考の布置の到来であるような「行為」を引き受ける思考のスタイルを指していて、バデ…
平凡社ライブラリーのこの一冊は、2010年に平凡社から訳出刊行されたジャン=リュック・ジリボン『不気味な笑い フロイトとベルクソン』から生まれた古典的なふたつの論考を新訳カップリングしたアンソロジー的作品。 笑いと不気味なものというともに痙…
ベルクソンの『笑い』とフロイトの『不気味なもの』の並行した読み解きで、二つのテクストを共振させ、知的刺激をより広範囲に波及させようとする試みの書。途中からグレゴリー・ベイトソンの『精神の生態学』のなかのメタメッセージとして働く「枠」の考察…
現実的なもの-想像的なもの-象徴的なもの(現実界-想像界-象徴界)の関係がランガージュ(言語活動)とパロール(はなし・ことば)のはたらきから徐々に理解できるようにすすむ一番最初のラカンのセミネール。50代前半の脂の乗ったときの仕事。以前読んだ…
ラカンの後期セミネールの翻訳。70歳を越えてのみずみずしい教え。尽きることのない攻める姿勢、探究と魂鎮めの張り詰めた空間、緊張感ある分析空間から、世界の淵に足をかけながら激しく演じられている精神の劇的様相をあらわにしてくれている。 本書のい…
すごかった。笑える哲学書というのもめずらしい。本文もそうだけれどインパクトのある挿入図が独特で、その突飛さに思わずなんども吹きだした。笑いだけではなく、おそろしくいろいろなものがつめ込まれている。喜怒哀楽、戦慄、絶望、恐怖、愛、戦略、計画…
「フロイトに還れ」を旗印に20世紀以降の精神分析学の一大潮流を作ったラカンの20年にもおよぶ講義の11年目の講義録。精神分析の四つの基本概念である「無意識」「反復」「転移」「欲動」について、分析家の養成を目標に置きながら講義がすすめられて…
ガタリの『機械状無意識』(原書1979, 訳書1990)はプルーストの『失われた時を求めて』を論ずるために書かれたもので、本来第二部が主役である。「機械状無意識の冗長性物の二つの基本的範疇」としてあげられる顔面性特徴とリトルネロ(テンポ取り作用、あ…
ガタリがつくりだす概念の数々は各章の見出しを見渡してみるだけでも変わっていて、不思議な世界像を見せてくれる。私として存在しているもののなかに「ブラックホール」があるなんて思いもよらなかった。しかし、なにものかをを取り込んだまま観測不能の状…