昭和前期の俳句革新運動である新興俳句運動の作家のなかでも、新たな俳句スタイルを求めてもっとも果敢に変化していった俳人が富澤赤黄男である。文芸の世界での探究努力は、必ずしも優れた成果に結びつくわけではないが、たとえ先細り、道に迷うようなことになってしまっても、動き、書きつづけなければ新しい展開は現れてこない。富澤赤黄男の決して多くはない句業の全体をたどり、富澤赤黄男の影響を受けて出てきた高柳重信の赤黄男論を読むことで、日本の近代詩の特徴ある歩みの一端をうかがい知ることができる。
15句選:
「魚の骨抄」より:
蚊帳靑し水母にもにてちちぶさは
「天の狼」より:
蝶墜ちて大音響の結氷期
鳥うせて烟のごとく木の枯るる
椿散るああなまぬるき晝の火事
沛然と雨ふれば地に鐵甲
戀びとは土龍のやうにぬれてゐる
「蛇の笛」より:
甲蟲たたかへば 地の焦げくさし
草原のもりあがらんとする 驟雨
汚瀆れたる掌の 合掌の 月にぬれ
雪の夜を 血みどろのもの生まれけり
稲光り わたしは透きとほらねばならぬ
人閒の智慧 ゆらゆらと 誘蛾燈
木の股の 月は歪んでゐたりけり
龜裂れし甕を抱ける 渇きかな
「黙示」より:
月光や まだゆれてゐる 絞首の縄
花鳥諷詠でもリアリズムでもなく、象徴的世界を創り上げているところが富澤赤黄男の特徴といえるだろうか。スタイルとしては次第に五七五の俳句韻律を超えて行く傾向が強くなり、表記も空白を使用して、意味の切れ方を特定するとともに、句の形から生じるイメージも操作しようとしている意図が見える。同時代の口語自由詩にも拮抗しようとしてたどった道筋だと思われる。ただし、富澤赤黄男の本領はどこまでも俳句形式にあり、本書の後ろ三分の一を占める後期の現代詩的表現は、語句ひとつひとつのイメージ喚起水準は高いものの、構成と凝縮力に難があり、ひとつの作品としてのまとまりに欠けるところがある。俳句の連作のほうがだいぶ広くて緊迫した世界を見せてくれている。
思い通りには行かせてくれない言語表現のなかでの一人の作家の苦闘と、時々こぼれ落ちる珠玉の果実を、もろともに味わえる一冊。
なお、代表句集『天の狼』(1941)は、青空文庫で全篇鑑賞可能。
【付箋箇所(1ページに五句、abcdeで判別)】
13a, 15d, 21c, 29e, 31a, 38a, 38c, 40c, 40e, 47c, 48b, 54a, 56b, 71c, 80c, 94c, 122b, 122d, 128b, 133a, 143e, 145c, 146a, 149c, 153a, 165b, 165d, 176c, 177d, 182b, 189e,196d, 199c, 201d, 201e, 211b, 212b,
雄鶏日記 29
目次:
魚の骨抄 (1940)
天の狼 (1941)
天の狼抄 (1951)
蛇の笛 (1952)
黙示 (1961)
赤黄男ノート(高柳重信)
雄鶏日記
モザイック詩論
クロノスの舌
年譜
富澤赤黄男
1902 - 1962
高柳重信
1923 - 1983
参考: