読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

近藤恒一『ペトラルカ 生涯と文学』(岩波書店 2002)

ペトラルカの父、セル・ペトラッコはダンテと同じく教皇派の白派に属しており、ダンテ同様フィレンツェから追放、財産も没収された受難の人であった。

息子のペトラルカも幼くして生まれ故郷のイタリアを離れ、21歳の時には父を失い、後ろ盾のない苦難の非定住生活を送ることとなる。

はじめに学んだ法学は肌に合わず、文学にのめり込んだのち、生計を立てるために聖職者の道を選ぶ。

数年後にアウグスティヌスの『告白』を読んで感銘を受け、内的人間としての変革、人間性の確立に邁進することに意を決するのだが、ここから先がペトラルカならではだと思うところで、宗教文学に開眼したという評を得るいっぽう、世俗的というか卑俗な立ち回りが目立つ人生模様を展開していく。

色欲に負けて私生児をもち、反省したかと思えばそれを繰り返し三人もの子を生したし、文学的地位確立のために運動しヨーロッパではじめての桂冠詩人として身を立て名声を得もし、また経済的自由と自由な時間を維持確立するために閑職または代理人で事足りる複数の職を手に入れることを聖職の世界では第一義としていたりと、要約してしまうとはなはだ泥臭い人間性が浮きだされてくる。

そういった面がなければ、ラウラへの一方的な愛を重ね重ね詠いあげた『カンツォニエーレ』や、自己救済のための告白の書『わが秘密』は生まれなかったであろうということに、嫌悪感なしにすんなり受け入れられ納得がいったことが、本書が伝えるペトラルカ像の良さであった。
また、古典文学作品発掘にかける情熱、年下の友人であるボッカッチョとの深い交流について多くのページが割かれ、生き生きと人物が描きだされているところも読み応えがあり、まるで伝記小説でも読んでいるかのような印象があった。

700年前のイタリアの聖職者という、現代日本の一般市民とは大きな隔たりがある存在にもかかわらず、多くの点から同時代人と思わせるところの多い、稀な人物であった。

 

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【付箋箇所】
46, 55, 61, 70, 77, 82, 113, 118, 123, 134, 206

目次:
序 章 山頂にて
第1章 地上のさすらい人
第2章 自由と再生をもとめて
第3章 ラウラ讃歌
第4章 「孤独」讃歌
第5章 都市の「孤独」をもとめて―北イタリア彷徨
第6章 文芸復興のために―ボッカッチョとともに
第7章 丘の「孤独」
終 章 ペトラルカとルネサンス

フランチェスコ・ペトラルカ
1304 - 1374
近藤恒一
1930 -