読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ジョルダーノ・ブルーノ『原因、原理、一者について』(原著 1584, 土門多実子訳 近代文藝社 1995)


遍在する一者。外部のない一者。究極の境界を持たない一者ではあるが、その内に差異を持ちながら対立する複数の個体が存在するという世界観を説くブルーノの著作。岩波文庫にも訳出され、主著と言われている『無限、宇宙および諸世界について』(1584)からも参照先としてたびたび言及されているところの、より理論的でより原理的な著作。

すべてに遍在するだだひとつの原理というブルーノの主張で言われているところでは、「原理」よりも「すべて」が飲み込みがたく残る。

固体化の原理によって偏差を持ちながら個体化したそれぞれの個物と個物間の関係が運動しながら存在している世界。究極的な目的なく今現在が不均等に動きながら存在する、遍在と偏在の同居する世界の教説。現時点での私の関心から見た世界としては、クォークも誰かの無意識も猫の鳴き声もカタカナも宗教も人の感覚器官もミミズの消化器官もコロナの変異株の変異のメカニズムも老人性痴呆症が進行しつつある83歳の父親も膨張する宇宙も月の自転と地球の公転も核融合核分裂も鉄より重い元素の存在もブラックホール超新星も観測不能ななにものかの存在も、その他世界のうちにある差異あるものどもすべてが同一原理により存在し認識されもするただひとつのこの世界をかたちづくっているというブルーノの主張、それは現在でも解消しようのない奇矯な側面を持つ。

私があり、私を包摂する世界があり、私とは異なるものがあり、私を構成するものがあり、私を構成しないものがあり、私に関わりあるものがあり、私にほぼ関わりないものがあり、私が意識する私の構成要素があり、私が意識しない私の構成要素があり、外部がなく遍在する一者のうちにあるという一元論はひとまず受け入れられても、私の今現在の状況で感知されうるもろもろの現象の整合性を思いついたところから考え調査していくことだけでも途方に暮れてしまう。

一者以外の実体を認めない外部を持たない無限の一元論は、すべてに答えを与えるとともに、すべての差異を疑問と精査の対象として考える能力あるものに与える、根源的な思考の枠組みなのであろう。

【付箋箇所】
19, 21, 22, 86, 93, 101, 102, 108, 112, 136, 137, 148, 150, 156, 176, 178, 192, 202, 203, 207, 211, 217 

ジョルダーノ・ブルーノ
1548 - 1600

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