バタイユの脱自ー恍惚の思想を再解釈しつつ、有限性を持った個人の限界でのコミュニケーションについて考察した書物。限界の露呈と分有という非人称的な出来事によって複数的なものが成立する、共同体の不在の、無為なもの(営みを解かれたもの)としての別様の共同体について、少しずつ対象をずらしながら論じられていく。この著作に刺激を受けて晩年のブランショが姉妹篇ともいえるような著作『明かしえぬ共同体』を書いていて、本書の訳注などにも多く引用されていたりするが、訳者西谷修も言っているように、できれば同時に読むことが推奨されている。本書の訳注解説も充実しているほうだと思うが、先に翻訳されていた西谷修訳の『明かしえぬ共同体』のほうが訳注と解説ともに詳細なものとなっている。二冊あわせて一冊と考えて読んだほうがいいかもしれない。共同体を支える善なるものの有限性とその果ての未知なる強度を持った事態の出来について、バタイユのテクストを中心に検討しているブランショとジャン=リュック・ナンシーの著作。
【目次】
第1部 無為の共同体
第2部 途絶した神話
第3部 「文学的共産主義」
第4部 〈共同での存在〉について
Ⅰ(〈共同での存在〉について)
Ⅱ(〈共同での〉の意味)
Ⅲ(〈共同での〉ということ)
第5部 有限な歴史
私たちの共通の果敢なさ(日本語版のために)
「〈分有〉、存在の複数性の思考――あとがきに代えて」
【付箋箇所】
6, 21, 29, 32, 37, 46, 49, 56, 63, 70, 71, 82, 102, 107, 109, 111, 116, 129, 137, 143, 145, 176, 181, 206, 234, 236, 242, 251, 254, 255, 270, 280, 281, 282, 286
ジャン=リュック・ナンシー
1940 - 2021
西谷修
1950 -
安原伸一朗
1972 -
モーリス・ブランショ
1907 - 2003