読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

滝川幸司『菅原道真 学者政治家の栄光と没落』(2019)


菅原道真の官吏としての生涯を漢詩を絡めて解説した書籍。歴史的情報は十分だが、詩人としての魅力がいまひとつ伝わってこないのが惜しい。

筆者は日本文学研究者であり、道真を漢詩人として考えることが多い。しかし、道真が官僚であった以上、道真伝は、その立場を中心に執筆することが主とならざるを得ない。(序章「儒者世界にそびえ立つ家系 ― 学問の家」p13)

新書というサイズの縛りや、伝記という縛りがあっても、専門家ならではの漢詩の読み解きから一般読者に感動を伝えて欲しいという思いが本書を読み進めるなか絶えずあった。紹介している漢詩の数は少ないほうではないのに、どこか物足りなさを感じている自分がいる。

本書の漢詩引用は以下のとおり。30篇。岩波書店の古典日本文学大系72『菅家文草菅家後集』(川口久雄校注)との対応関係を表形式にて示す(全文引用は背景色 cyan で表示)。 

引用漢詩 引用
箇所
句数 新書頁 菅家文草
菅家後集
作品通番
岩波体系
掲載頁
月夜見梅花 1-4 4 19 1 105
濃州上言紫雲第一 1-4 4 30 522 533
苦日長 1-4 32   35 292 338
拝戸部侍郎、聊書所懐、呈田外史 5-8 8   49 69 157
博士難 9-20 32   57 87 175
夏夜於鴻臚館、餞北客帰郷 1-8 8 65 111 195
詩情怨 1-6,
17-20
20   69 118 202
早春内宴、聴宮妓奏柳花怨曲、応製 7-8 8   86 183 247
重陽日府衙小飲 5-8 8   92 197 257
九日偶吟 1-4 4 93 267 316
寒早十首(08) 釣魚人 1-8 8 96 207 263
行春詞 1-6,
27-32,
39-40
40   101 219 271
三年歳暮、欲更帰州、聊述所懐、寄尚書平右丞 7-8 8   109 240 294
憶諸詩友、兼奉寄前濃州田別駕 1-8 8 119 263 313
冬夜閑思 3-6 8   121 274 325
三月三日、侍於雅院。賜侍臣曲水之飲、応製 7-8 8   143 324 358
哭田詩伯 3-8 8   157 347 378
御製、題梅花、賜臣等句中、有今年梅花減去年之歎。謹上長句、具述所由 7-8 8   161 366 396
夏日餞渤海大使帰、各分一字。 1-2 8   182 425 435
北堂文選竟宴、各詠史、句、得乗月弄潺湲 1-16 16 191 437 447
敬奉和左大将軍扈従太上皇、舟行有感見寄之口号 1-4 4 205 444 453
近院山水障子詩(06) 海上春意 3-4 4   216 468 467
楽天北窓三友詩 45-52 56   232 477 480
叙意一百韻 23-28,
1-4
200   233,
235
484 488
自詠 1-4 4 234 476 477
読開元詔書 9-16 16   237 479 482
聞旅雁 1-4 4 240 480 483
九月十日 1-4 4 241 482 484
不出門 1-8 8 242 478 481
謫居春雪 1-4 4 244 514 523


趣味の問題もあるだろうが、一読者としての私の不満のひとつは、漢詩に対して純粋な読み下し文ではなく、読み下し文と現代語訳の中間的な文章がつけられていることにある。読み下し文に一読明快な現代語訳もしくは純粋な解説文を併載していただけたなら満足感はもっと高まったと思う。


【例】不出門

原文:

一従謫落就柴荊
万死兢兢跼蹐情
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘声
中懐好逐孤雲去
外物相逢満月迎
此地雖身無檢繋
何為寸歩出門行

読み下し文(岩波文学大系:川口久雄):

一たび謫落(たくらく)せられて柴荊(さいけい)に在りてより
万死兢兢(きょうきょう)たり 跼蹐(きょくせき)の情(こころ)
都府(とふ)の楼(ろう)には纔(わづか)に瓦の色を看(み)る
観音寺にはただ鐘の声をのみ聴く
中懐は好(ことむな)し 孤雲に逐(したが)ひて去る
外物(がいぶつ)は相逢(あひあ)ひて満月ぞ迎ふる
此の地(ところ)は身の檢繋(けむけい)せらるることなくとも
何為(なにす)れぞ 寸歩(すんぽ)も門(かど)を出(い)でて行(ゆ)かむ

 「原文の漢字を活かした現代語訳」(滝川幸司):

門を出ない

一たび謫落(たくらく)[追放]されて柴(しば)と荊(いばら)[の粗末な家]に就(身をよ)せて従(か)ら、
[罪に]万死するように兢兢(おそれつつ)しみ跼蹐(身もかがまるよう)にびくびくする情(こころ)である。
都府[太宰府]の楼(ろうかく)には[ここから]纔(わず)かに瓦(かわら)の色を看(み)るだけだし、
観音の寺も只(ただ)鐘の声を聴くだけだ。
中懐(こころ)は好(うま)く孤(ひとひら)の雲を逐(お)いかけて去(ゆ)き、
外の物としては満月に相逢(あ)い[満月を]迎えいれる。
此(こ)の地に身は檢繋(しばら)れることはない雖(けれど)も、
何為(どう)して寸歩(わずかなあゆみ)であっても門から出て行こうか。

 「原文の漢字を活かした現代語訳」には、表記も含めて渋滞感が発生してしまってはいないだろうか? しかし新たな試みに向かう著者の姿勢には、大いに学びたい。

 

 菅原道真|新書|中央公論新社

 

同じ著者による大部の著作『菅原道真論』を読んでみるという選択肢もあるだろうが、本体価格が22,000円なのでそう簡単には手が出せない。

rr2.hanawashobo.co.jp

高価な専門書よりも3000円前後の一般向け教養書と、文庫もしくは新書、選書サイズでの菅家文草菅家後集の訳詩集の出版を期待している。もっと手軽に道真の漢詩を読んでみたい。

 

滝川幸司
1969 -
菅原道真
845 - 903