菅原道真の官吏としての生涯を漢詩を絡めて解説した書籍。歴史的情報は十分だが、詩人としての魅力がいまひとつ伝わってこないのが惜しい。
筆者は日本文学研究者であり、道真を漢詩人として考えることが多い。しかし、道真が官僚であった以上、道真伝は、その立場を中心に執筆することが主とならざるを得ない。(序章「儒者世界にそびえ立つ家系 ― 学問の家」p13)
新書というサイズの縛りや、伝記という縛りがあっても、専門家ならではの漢詩の読み解きから一般読者に感動を伝えて欲しいという思いが本書を読み進めるなか絶えずあった。紹介している漢詩の数は少ないほうではないのに、どこか物足りなさを感じている自分がいる。
本書の漢詩引用は以下のとおり。30篇。岩波書店の古典日本文学大系72『菅家文草・菅家後集』(川口久雄校注)との対応関係を表形式にて示す(全文引用は背景色 cyan で表示)。
引用漢詩 | 引用 箇所 |
句数 | 全 | 新書頁 | 菅家文草 菅家後集 作品通番 |
岩波体系 掲載頁 |
月夜見梅花 | 1-4 | 4 | 〇 | 19 | 1 | 105 |
濃州上言紫雲第一 | 1-4 | 4 | 〇 | 30 | 522 | 533 |
苦日長 | 1-4 | 32 | 35 | 292 | 338 | |
拝戸部侍郎、聊書所懐、呈田外史 | 5-8 | 8 | 49 | 69 | 157 | |
博士難 | 9-20 | 32 | 57 | 87 | 175 | |
夏夜於鴻臚館、餞北客帰郷 | 1-8 | 8 | 〇 | 65 | 111 | 195 |
詩情怨 | 1-6, 17-20 |
20 | 69 | 118 | 202 | |
早春内宴、聴宮妓奏柳花怨曲、応製 | 7-8 | 8 | 86 | 183 | 247 | |
重陽日府衙小飲 | 5-8 | 8 | 92 | 197 | 257 | |
九日偶吟 | 1-4 | 4 | 〇 | 93 | 267 | 316 |
寒早十首(08) 釣魚人 | 1-8 | 8 | 〇 | 96 | 207 | 263 |
行春詞 | 1-6, 27-32, 39-40 |
40 | 101 | 219 | 271 | |
三年歳暮、欲更帰州、聊述所懐、寄尚書平右丞 | 7-8 | 8 | 109 | 240 | 294 | |
憶諸詩友、兼奉寄前濃州田別駕 | 1-8 | 8 | 〇 | 119 | 263 | 313 |
冬夜閑思 | 3-6 | 8 | 121 | 274 | 325 | |
三月三日、侍於雅院。賜侍臣曲水之飲、応製 | 7-8 | 8 | 143 | 324 | 358 | |
哭田詩伯 | 3-8 | 8 | 157 | 347 | 378 | |
御製、題梅花、賜臣等句中、有今年梅花減去年之歎。謹上長句、具述所由 | 7-8 | 8 | 161 | 366 | 396 | |
夏日餞渤海大使帰、各分一字。 | 1-2 | 8 | 182 | 425 | 435 | |
北堂文選竟宴、各詠史、句、得乗月弄潺湲 | 1-16 | 16 | 〇 | 191 | 437 | 447 |
敬奉和左大将軍扈従太上皇、舟行有感見寄之口号 | 1-4 | 4 | 〇 | 205 | 444 | 453 |
近院山水障子詩(06) 海上春意 | 3-4 | 4 | 216 | 468 | 467 | |
読楽天北窓三友詩 | 45-52 | 56 | 232 | 477 | 480 | |
叙意一百韻 | 23-28, 1-4 |
200 | 233, 235 |
484 | 488 | |
自詠 | 1-4 | 4 | 〇 | 234 | 476 | 477 |
読開元詔書 | 9-16 | 16 | 237 | 479 | 482 | |
聞旅雁 | 1-4 | 4 | 〇 | 240 | 480 | 483 |
九月十日 | 1-4 | 4 | 〇 | 241 | 482 | 484 |
不出門 | 1-8 | 8 | 〇 | 242 | 478 | 481 |
謫居春雪 | 1-4 | 4 | 〇 | 244 | 514 | 523 |
趣味の問題もあるだろうが、一読者としての私の不満のひとつは、漢詩に対して純粋な読み下し文ではなく、読み下し文と現代語訳の中間的な文章がつけられていることにある。読み下し文に一読明快な現代語訳もしくは純粋な解説文を併載していただけたなら満足感はもっと高まったと思う。
【例】不出門
原文:
一従謫落就柴荊
万死兢兢跼蹐情
都府楼纔看瓦色
観音寺只聴鐘声
中懐好逐孤雲去
外物相逢満月迎
此地雖身無檢繋
何為寸歩出門行
読み下し文(岩波文学大系:川口久雄):
一たび謫落(たくらく)せられて柴荊(さいけい)に在りてより
万死兢兢(きょうきょう)たり 跼蹐(きょくせき)の情(こころ)
都府(とふ)の楼(ろう)には纔(わづか)に瓦の色を看(み)る
観音寺にはただ鐘の声をのみ聴く
中懐は好(ことむな)し 孤雲に逐(したが)ひて去る
外物(がいぶつ)は相逢(あひあ)ひて満月ぞ迎ふる
此の地(ところ)は身の檢繋(けむけい)せらるることなくとも
何為(なにす)れぞ 寸歩(すんぽ)も門(かど)を出(い)でて行(ゆ)かむ
「原文の漢字を活かした現代語訳」(滝川幸司):
門を出ない
一たび謫落(たくらく)[追放]されて柴(しば)と荊(いばら)[の粗末な家]に就(身をよ)せて従(か)ら、
[罪に]万死するように兢兢(おそれつつ)しみ跼蹐(身もかがまるよう)にびくびくする情(こころ)である。
都府[太宰府]の楼(ろうかく)には[ここから]纔(わず)かに瓦(かわら)の色を看(み)るだけだし、
観音の寺も只(ただ)鐘の声を聴くだけだ。
中懐(こころ)は好(うま)く孤(ひとひら)の雲を逐(お)いかけて去(ゆ)き、
外の物としては満月に相逢(あ)い[満月を]迎えいれる。
此(こ)の地に身は檢繋(しばら)れることはない雖(けれど)も、
何為(どう)して寸歩(わずかなあゆみ)であっても門から出て行こうか。
「原文の漢字を活かした現代語訳」には、表記も含めて渋滞感が発生してしまってはいないだろうか? しかし新たな試みに向かう著者の姿勢には、大いに学びたい。
同じ著者による大部の著作『菅原道真論』を読んでみるという選択肢もあるだろうが、本体価格が22,000円なのでそう簡単には手が出せない。
高価な専門書よりも3000円前後の一般向け教養書と、文庫もしくは新書、選書サイズでの菅家文草・菅家後集の訳詩集の出版を期待している。もっと手軽に道真の漢詩を読んでみたい。