読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ピエール=ジョゼフ・プルードン『貧困の哲学』(1846) 平凡社ライブラリー下巻(2014)

アナーキストプルードンが国家や企業に代わる組織として掲げたのが、アソシエーション(協同組合)。しかし現実の世界ではアソシエーションは必ず企業や国家に敗れる。競争力も権力ももっていないから。しかし、だからといってその理念をなくしてしまうと、対抗案も緩衝材も改善のための足場もなくなってしまう。何事かあった時にも、自由と寛容の砦となるため、アソシエーションを統制的理念、希望の原理として評価する。プルードン再評価に貢献の大きい『トランスクリティーク』以降の柄谷行人が立っているのもそういった立場だ。

 

第九章 第六段階―貿易のバランス

一言でいえば、貧乏人をつくりだすひとびとだけが得をする。こうした特権階級はつねにそこそこ数がいて、もっとも肥沃な土地が農民にもたらす超過分、もっとも豊かな鉱山が掘り手にもたらす超過分、最も生産的な経営が産業者にもたらす超過分をむさぼり食う。自分たちに何ほどかの収入をもたらすことがなければ、劣等な土地や劣等な経営に労働者が手を出すことを許すははずがない。(p73)

 

第一〇章 第七段階―信用

貨幣は、その他のあらゆる生産物を評価し、支配し、従属させる。貨幣のみがわれわれの負債を解消し、われわれを義務から解放する。貨幣は、国民にとっても豊かさと独立を保証する。けっきょくのところ、貨幣とは権力であるばかりでなく、自由・平等・所有であり、すべてなのである。(p147)

 

第一一章 第八段階―所有

分業によって、平等が実現しはじめる。この平等は、多数のものの同一性ではなく、多様なものの等価性としてあらわれる。社会の組織は原理によって構成されるが、その芽生えはそれを活気づける刺激を受け取ったところにある。集合的な人間が存在するにいたる。しかし、分業は一般的な役目と特殊な役目をともに前提する。このことから労働者たちのあいだに条件の不平等が生じ、一部のひとびとを上昇させ、ほかのひとびとを下降させる。こうして第一段階から、原始的な共同体にかわって産業的な敵対関係があらわれる。(p288)

 

第一二章 第九段階―共有

さて、文学と科学の教育はまだ専門的になるとしても、青少年をみんな進取の気性と発見の能力をそなえた独創的な人間にしようという偏りがあると、ひとびとがますます共産主義の原理から遠ざかっていくことは明白だ。そして、友愛で結びついた労働者たちはいなくなり、最終的には野心的で制御しがたい性格の人間たちしかいなくなることも明白だ。(p400)

 

第一三章 第一〇段階―人口

機械は、労働者を細かい分業による愚鈍化から救い出してくれるはずであったが、逆に労働者を一段と深刻な状態へ追いこむ。労働者は人間らしさとともに自由を失い、たんなる道具のレベルに堕落させられる。幸せは主人にとって増大し、下っ端にとっては不幸が増大する。(p494)

 

第一四章 要約と結論

科学の出発の時点で、労働は、方法ももたず、価値についての知識もなく、わずかに覚えた片言を言うだけで、富の作りかたやものの価格の決めかたはいわゆる自由意思にまかせた。この瞬間から、二つの勢力が相争うようになり、社会の組織化という大事業が始まった。なぜなら、労働と自由意志を、我々はのちにこう呼ぶことになるからだ。すなわち、労働と資本、賃労働者と特権階級、競争と独占、共有と所有、平民と貴族、身分と市民、協同(アソシアシオン)と個人主義、である。論理学の基本概念を承知しているひとなら誰にでも明らかなように、こうした対立は永遠に再生されるものであるから、永遠に解決し続けねばならない。(p598)

 

「永遠に解決し続けねばならない」。固定せず考え続け、失望せずトライしなければならない。何もしないと精神が決めていても、腹が減ったりトイレに立ったりで動き出してしまう身体のように、世界に働きかけてしまう人間というものを観察し、できれば気持ちよくコントロールしていく。まずは自分の身のまわりのことからスタートする。

 

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ピエール=ジョゼフ・プルードン
1809 - 1865
斉藤悦則
1947