読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

ピエール=ジョゼフ・プルードン『貧困の哲学』(1846) 平凡社ライブラリー上巻(2014)

1809年生まれのプルードンは、島津斉彬、E・A・ポー、ゴーゴリリンカーンダーウィンと同い年。37歳の時に書かれた『貧困の哲学』は、174年前の著作であるにもかかわらず、訳業が最近のものということも手伝って、今読んでも古さを感じさせない。今新たに出版される政治経済系の新書本などより、はるかに都会的、コスモポリタン的な雰囲気をもっている。マルクスに批判されて後、あまりいい扱いを受けることもなかった著作だが、常時・非常事にかかわらず国家・行政以外の共用サービスの組織形態を考えるきっかけにもなる歴史的に意味ある作品となっている。おそらく100年後の世界でより読まれているのは、トマ・ピケティなどよりもプルードンであるだろう。
 
全巻読むとなると平凡社ライブラリー版上下巻で千頁を軽く超える大冊なので、以下の章ごとの引用箇所を里程標的に利用していただくと少しは読みやすくなるかも知れない。

 

第一章 経済科学について

労働者の賃金はどのようにして決められるか。それはできるだけ低くすることだと言う。すなわち、わからないということ。経営者が市場にもちこむ商品の価格はいくらであるべきか。それはできるだけ高く、だ。これもまた、わからないと言うにひとしい。政治経済学的においては、商品や労働日を評価することはできても、価格を確定することはできないとされる。(p83)

 

第二章 価値について

もし、私の生活に役立つものすべてが太陽の光のようにありあまっていれば、べつの言いかたをすると、あらゆる種類の価値が無尽蔵にたくさんあるならば、豊かな暮らしは確実に保証される。私は働く必要もない。ものを考える必要もない。このような状態においては、ものに有用性があることには変りがなくても、ものに価値があるとはもはや言えなくなる。(p96)

 

第三章 経済発展の第一段階―分業

教育が普及すれば、ひとは自尊心が増した分だけ貧困がつらくなる。なんと悲惨なことだろう。(p187)

 

第四章 第二段階―機械

機械が増えると人間にとっては働き口がなくなるだけではない。人間の数が少なくて消費の力が不十分であると、機械にとっては人間が足りないことになる。したがって、均衡が確立するまでは、働き口の不足と働き手の不足、生産の不足と販路の不足がまったく同時に存在するのである。(p248)

 

第五章 第三段階―競争

売買から気まぐれがなくなり、市場から不安がなくなれば、つぎつぎにあたらしいものをつくろうとする労働の意欲もなくなる。追い立てられるような気持ちがなくなれば、生産の驚異的な発展もありえなくなる。(p286)

 

第六章 第四段階―独占

慈善を平等の道具にしたり、均衡の法則にしたりすれば、それは社会を崩壊させる。ひとびとのあいだに平等をもたらすものは、厳密かつ柔軟な労働の法則であり、価値の比例性であり、交換の誠実さであり、しごとの重みのひとしさである。(p337)

 

第七章 第五段階―警察あるいは税金

一言でいえば、政府に雇われているひとびとへの賃金は、社会にとってはロスである。それは損失として計算されなければならない。産業の組織であれば、そういう損失はたえず少なくしていくことがめざされるはずだ。こうしてみると、アダム・スミスが用いた「不生産性」ということばは、まさに権力者を形容するときに一番ぴったりくる。
(p385)

 

第八章 矛盾の法則のもとでの人間の責任と神の責任―神の摂理の問題の解決

エゴイズムの法則のもとで生きているかぎり、人間は自分で罪を背負う。人間が社会の法則という概念にまで自分を高めていると、人間は社会に罪があるとする。つまり、個として、および類として、人間はつねに人間に罪があるとするわけだ。(p486)

 

下巻につづく・・・

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ピエール=ジョゼフ・プルードン
1809 - 1865
斉藤悦則
1947