読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

吉田洋一+赤攝也『数学序説』(培風館 1954, ちくま学芸文庫 2013)

一回試行の確率空間って、日々の生活とか歴史の歩みのことを言っているようだ。

理系の学者でうまい文章を書く人はとても魅力的で、普段は思いもつかないようなことを示唆してくれる。

適当に訓練された数学者は、数学的理論に対して’数学的審美眼’ともいうべき価値判断の特有の能力を持っている。不思議な点は、科学を素材にとった’数学’には、以外にもこの’数学的審美眼’に訴えるものが多い上に、すでに存在する数学にまさしく適合吸収されるものも多く、一方また、純粋に数学的な目的のために建設された数学が、いち早くどこかの科学からその適切な言葉として引き抜かれてゆく、ということであろう。それは、とくに最近の物理学との間において著しい。ヴァイル(Weyl)は、このことを評して’今世紀(二十世紀)にはいってからの数学と物理学の進歩の仕方を見ると、その間に予定調和があるのではないかとさえ思わせる’といっているが、これは数学者すべての実感でもあろう、と思われる。(10「偶然を処理する―確率と統計」p423)

「予定調和」ってとこまで言ってしまっていいものだろうかと外野からちょっと心配もする。別分野の研究の成果が境界を越えて一点に収束していくのはあり得ることではあろうけれども、それは人間が理解可能なものの範囲があまり広がっていないことにもなるのではないかと漠然と感じたりする。

数学の大きな信条の一つは、あらゆるものの、’記号化’ということである。(2「光は東方より―代数学の誕生」p86)

抽象化能力によって世界を記号化、モデル化して解釈する。すでに記号化されたもののなかで新たな事象を再解釈しながらも、取り込めないノイズを感知して新たな記号でモデル化していく。文系の感性で想像するに、科学者もおそらく新たな記号を作りたいという欲望も持ちながら仕事をしているのではないかと思う。萩原朔太郎萬葉集を読みながら、新しい枕詞をひとつでも創造したい、と考えたように。いままでの美しい記号の配列に審美眼の多くを負いながら。今時点での抽象化能力を最大限に発揮して。多に新たな一を付け加えたいと願いながら。

 

目次:
1 幾何学的精神―パスカルとエウクレイデス
2 光は東方より―代数学の誕生
3 描かれた数―デカルト幾何学
4 接線を描く―微分法と極限の概念
5 拡がりを測る―面積と積分法の概念
6 数学とは何か―ヒルベルトの公理主義
7 脱皮した代数学―群、環、体
8 直線を切る―実数の概念と無限の学の形成
9 数学の基礎づけ―無限の学の破綻と証明論の発生
10 偶然を処理する―確率と統計

 

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吉田洋一
1898 - 1989
赤攝也
1926 - 2019