その辺にあるであろう事物との共生。その辺に生きている私という存在の確認。
プラトニズムと実証主義における真理 ニーチェがニヒリズムの根本経験からプラトニズムの逆転を試みたこと
芸術と真理の関係に向けられたプラトンの省察の範囲と連関
芸術は感性的なものの肯定なのである。ところがプラトニズムの教えによれば、超感性的なものこそ本来的に存在するものとして肯定されることになる。(p224)
プラトンの《国家》-芸術の真理からの距離
家具というものは、ただわけもなく存在しているのではなく、使用にそなえて、あるいは現に使用中のものとしてある。それらは使用を目途として《存在している》のであり、制作されたものとしては、共同居住者たちの共同存在における共同使用のためにある。(p239)
あれだ、ひとりで部屋に長時間いるときも、サティの「家具の音楽」系の楽音は効く。家具という生の背景あるいは基盤としての人の必要に沿った存在の仕方は、すこぶる安定的で落ち着く半芸術音だ。聞き流しつつ聞き入ることが可能な音楽。何処にも連れていかれない安心感と若干の空虚感。
「彼(画家デューラー)は、個々の物をそのつどの位置から描きながら、たまたま目に映された断片的な眺めだけを表現するのではない」、むしろ彼は(と、補って読むべきである)、個々の物をいつもこの唯一のものとしてそのかけがえのなさにおいて描きながら、個別的な兔における存在そのもの、それの《兔であること》、この野獣の《野獣であること》を可視的にする。ここでエラスムスが語っているのは、まぎれもなくプラトンとは反対の思想である。(p257)
マルティン・ハイデッガー
1889 - 1976
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ
1844 - 1900
エリック・サティ
1866 - 1925
デジデリウス・エラスムス
1466 - 1536
アルブレヒト・デューラー
1471 - 1528
細谷貞雄
1920 - 1995
杉田泰一
1937 -
輪田稔
1940 -