読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

本居宣長『石上私淑言』(1763 34歳)「もののあわれ」に「詞の文」をまとわせる

いそのかみのさざめごと。27歳の時の『排蘆小船(あしわけをぶね)』を展開させたもの。内容はほとんど変わらないが引用歌がふんだんで門人たちには学びやすいものになっていただろう。同年五月、尊敬する賀茂真淵と会見し、十二月に入門。古事記伝に舵を切るため『石上私淑言』は未完の作品に終わっている。もう少しで終わる雰囲気であるのに、そこで中断というのは、神代、古事記への思いが相当強かったものと想像される。テキストは新潮日本古典集成の『本居宣長集』。岩波文庫本居宣長『排蘆小船・石上私淑言 宣長「物のあはれ」歌論』もあるが、新潮日本古典集成の方は訳が本文の脇に添えられていて、いちいち本文から目を離さなくてもいいので楽。そんなに重くもないので寝ころびながらでも読める。

それも本(もと)は物のあはれに堪へぬ時のわざなり。そのゆゑは、深く物のあはれなることありて、心のうちにこめ忍びがたき時に、ただの詞にいひ出でてはなほ心ゆかぬ時、そのあはれなる趣きを、詞に文(あや)をなし、ほどよく続けて、声長くうたへば、こよなく慰むものなり。千言万語にも尽くしがたく深き情(こころ)も、わづかに三句五句の言の葉にあらはるるとこは、歌の妙なり。( 巻一 p309 ) 

 

詩や歌は基本的に短いものでなければならないというのは、エドガー・アラン・ポーも言っていた、洋の東西を問わず心と言葉に関わる大きな教え。


【付箋箇所】
253, 309, 316, 341, 374, 406, 415, 431, 436, 442, 452, 467, 484

テキスト:
新潮日本古典集成 日野龍夫校注 『本居宣長集』

本居宣長
1730 - 1801
日野龍夫
1940 - 2003