読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

本山幸彦『人と思想 47 本居宣長』(清水書院 1978, 2014) 歌論から古道、儒教批判へ

1757年、宣長28歳、京都での遊学を終え松坂に帰ってのちに賀茂真淵『冠辞考』を読んだことが、王朝文学から古事記へと向かい、儒教批判論者としての骨格を固めていった決定的な出来事であった。出会うべくして出会った作品であり師である。真淵の死もあって、二人の間にはわずかな交流があったに過ぎないが、「からごゝろを清くはなれよ」という教えは、歌論や物語論を書いていた自分の思考に馴染みやすく、また自分の考えの方向性に自信を持たせてくれる教えであった。

和歌と古典の研究を相互関連的に進めた結果、宣長が発見したのは、「物のあはれ」をしる心情が、なお豊かだった王朝社会と、神代の世界とは、和歌を通路として互に結びついているということだった。この和歌を通路とする地平こそ、儒仏の道徳的世界とは異質な世界、しかも、日本の神代に発し、日本の歴史の根抵を定礎しつづける非合理な世界に他ならなかった。
(Ⅲ 主情主義的人間観の形成 「「物のあはれ」と王朝社会」 p126 )

 

権力の争奪が人民統治の不可避な前提だったという中国古代社会に対する認識は、かえってますます『古事記』信仰へと宣長をみちびいた。そこには神々の意志のもとづく天皇統治の絶対性と、それがもつ倫理的な機能が表裏一体化して、何ら教えを必要とすることなく、人間真情のままに、平和に楽しく生きている古代の人々の生活があった。人間本然の情を永遠に保証し、儒仏の教えがもつ虚偽性をただす道、これが宣長の古道論の現実社会において担う意義だったのである。
(Ⅳ 古道と人間「古道論」p159-160)

 

宣長は王朝文学から『万葉』『古事記』と遡って研究していくことで、日本の古代の姿にユートピアを見る。「人間真情のままに、平和に楽しく生きている古代の人々の生活」のイメージが思考の根幹に据えられることで、研究は信仰になり、宣長の学問はますます熱を帯びたものになる。江戸時代当時の儒教思想が重くのしかかる社会のあり方にたいする反発も、古代の美化に輪をかける。21世紀の現代日本では俄かに信用できない想定だが、18世紀当時はそれほど突飛なことでもなかったのであろう。まだ文字をもたないなかで歌謡が行われていた古代日本。「文字は借り物」というのが宣長の主張だが、その借り物がなければ古代のおもかげはよく伝わりはしなかっただろうに。敵対しながら自説を展開していくというのは日本的麗しさから遠いのではないのかなと思いながら宣長の伝記的な一冊を読んだ。

古事記伝全44巻。いつか読むことあるだろうか・・・

本居宣長

 

目次:
はじめに
Ⅰ 青春の人間像
   宣長をめぐる環境
   幼少年期の宣長
   京都遊学
Ⅱ 宣長学の完成
   研究者宣長
   市井の人として
   宣長学の宣揚
   晩年
Ⅲ 主情主義的人間観の形成
   青春の思想
   和歌と人間――『あしわけをぶね』
   「物のあはれ」と王朝社会
Ⅳ 古道と人間
   『古事記』の研究
   古道論
   古道と真心
Ⅴ 古道と政治
   本居宣長の政治思想
   結びにかえて――本居宣長と学問
あとがき
年譜
参考文献

【付箋箇所】
3, 33, 55, 65, 85, 89, 100, 105, 107, 119, 123, 126, 130, 140, 150, 160, 166, 188, 203

本居宣長
1730 - 1801
本山幸彦
1924 -