読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

唐木順三『良寛』(筑摩書房 1971, ちくま文庫 1985)天真爛漫と屈折の同居。漢詩の読み解きを中心に描かれる良寛像

良寛道元にはじまる曹洞宗の禅僧で、師の十世大忍国仙和尚から印可を受けているので、悟りを開いていることになっているはずなのだが、実際のところ、放浪隠遁の日々を送っているその姿は、パトロンから見ても本人的にも失敗した僧と位置付けるのが正しい評価であろう。僧としての業績ではなく、詩歌や書といった文化的な側面から愛され評価されているのが良寛という人物だ。文芸においては和歌、俳句、長歌など多ジャンルでまんべんなく作品を残しているが、そのなかでは漢詩良寛の思想的な面も生活的な面も織り込んでいていちばん味わい深いと私は思う。

良寛漢詩と和歌の間には、或いはその両者に対する良寛自身の態度には、かなりの相違がある。簡単な證拠でいえば、漢詩、特にすぐれた漢詩の背後には禅がある。和歌にはそれが殆どない。そして良寛の和歌、殊にすぐれた歌の背後には禅に代って万葉集がある。(7「良寛における歌と書」p253)

良寛漢詩漱石田辺元などの文化人からことのほか愛された。私も和歌より良寛漢詩のほうが好きだ。万葉的か禅的かの違いというよりも、実景と抒情の配合具合が和歌よりも漢詩のほうが広く且つ鮮明であるからだ。その点でいえば、菅原道真にかんしても和歌より漢詩のほうが好きなのと違いがない。

生涯懶立身 生涯、身を立つるに懶(ものう)く
騰々任天真 騰々、天真に任(まか)す
嚢中三升米 嚢中、三升の米
炉辺一束薪 炉辺、一束の薪
誰問迷悟跡 誰か問はん、迷悟の跡
何知名利塵 何ぞ知らん、名利の塵
夜雨草庵裡 夜雨、草庵の裡(うち)
双脚等閒伸 双脚、等閒に伸ばす

小さな草庵で、施しものの米を炊いて、雨の音を聞きながらひとりぼんやり過ごしている良寛。和歌だと抒情が強く実景が添え物でほとんど物質的なものが物質として残らない傾向にあるが、漢詩だと、モノを表現する言葉がモノとともに残り、モノで構成されている生活空間の中に、身体をもった抒情主体が存在をもって主張してくる。抒情の添え物として身体があるのではなく、身体があるところから抒情が発出している。身体からはじまり、身体が抒情の後にも残りつづける。尻をつき足をのばし視線をその足に向けている良寛がいる。なんというか、さまざまな重力に拉がれている人物の全的存在感が愛おしい。和歌は精神優位、漢詩は存在優位の天然自然。
「絶言詮底」「絶文字底」「不立文字」の悟りを説く禅僧も歌をうたわずに過ごせないのが日本の宿世。もののあわれの精神優位の和歌の世界で、始祖道元良寛を比べると良寛の抒情気質のほうが上を行っている。

道元
春は花夏ほととぎす秋は月冬雪さえて冷(すず)しかりけり

良寛
形見(かたみ)とて何か残さむ春は花山時鳥秋はもみぢ葉
なきあとの形見ともがな春は花夏ほととぎす秋はもみぢ葉

道元の「冬、雪さえて、冷しかりけり」と良寛の「形見とてなにか残さむ」また「なきあとの形見ともがな」との間には、かなりのへだたりがある。良寛の場合は、作者が花や鳥や紅葉に密着している。作者の抒情裡にそれらは在る。そこには自然の風物に対する良寛の愛情、湿(しめ)り、潤ったあたたかい情がある。そしてそれは良寛という人物の特徴である。
(7「良寛における歌と書」p227)

冬の美を発掘したといわれもする道元の抑えた抒情に対し、冬を除けて自身の死と人生に関する抒情を詠嘆した良寛。情の横溢を受け止める資質が優っているのだから、いったん知的に悟りを開いたとしても、日々の暮らしのなかでカラカラと乾いた悟りの永遠回帰を繰り返すことができずに、俗情の世界にずれ込んでしまうのは当然の成りゆきともいえる。しかも、僧侶の世界にも世俗の世界にも開き直って生きることができずにいる懶惰を抱えている。解消しようのない人間臭さを持つ人物。情けない姿、ではなく、情けある人ができるだけ筋を通そうとして生きている姿が詩歌にあらわれる。ときに天真爛漫の手毬好き、ときに挫折に拉がれている不良僧。そんな人間良寛については、正座していたり座禅を組んだりしているよりも足をのばしてゐたり膝を抱えたりしているイメージのほうが似つかわしい。

結宇碧嵓下 宇(庵)を結ぶ碧嵓(へきがん)の下(もと)
薄言養残生 薄(いささか)言(ここ)に残生を養う
蕭灑抱膝坐 蕭灑(しょうしゃ)、膝を抱いて座す
遠山暮鐘声 遠山、暮鐘の声

冷えて清い寂寞のなか、膝を抱いて鐘の音を聞いている。ちょっと距離を置いてだまって一緒に坐らせてもらいたくなる。芭蕉といっしょで良寛は聴覚優位の人だという唐木順三の指摘を思い合わせながら・・・

 

筑摩書房 良寛 /

 

目次:
1 生涯懶立身―良寛の生涯と境涯
2 「捨てる」と「任す」
3 良寛の資性
4 良寛における詩
5 良寛の「戒語」と「愛語」
6 良寛における「聞く」
7 良寛における歌と書

 

【付箋箇所】
46, 52, 67, 92, 102, 114, 137, 157, 167, 189, 204, 220, 253, 256, 259

 

唐木順三
1904 - 1980
良寛
1758 - 1831
道元
1200 - 1253