読書三昧(仮免) 禹歩の痛痒アーカイブ

乱読中年、中途と半端を生きる

谷川敏朗『校注 良寛全句集』(春秋社 2014)

良寛曹洞宗の僧というよりもやはり歌人であり詩人としての存在が大きい。詩や歌の内容に仏の道が入ることが多くても僧としての偉大さよりも詩人としての輝きが先にきらめく。「法華讃」「法華転」という法華経讃歌の漢詩群はあっても、仏教の教えを説いた著作も語録もないこと、弟子もいなかったことなどが仏教者としての位置づけをはっきりしないものにしているのだと思う。それに比べれば、歌人としては會津八一斎藤茂吉に多大な影響を与えているし、漢詩夏目漱石や田邉元が愛読していたことなどが知られている。俳句に関しては、蕉風俳諧に連なる俳人としての父以南の存在もあって、芭蕉を賛美する心は大いにあったものの、自分の句作ということになると歌や漢詩に比べると圧倒的に少ない。辞世の句とも言われることがある「うらを見せおもてを見せて散るもみぢ」は人の作であるようなので、それ以外の良寛自作の句というとなかなか思い浮かんではこない。春秋社では本書の他に全詩集と全歌集が刊行されていて、それによると漢詩483首、歌は1350首ある。それに比べて俳句は107句で、そのなかには父以南の句である可能性が高いものが何句か含まれているというくらい作数は少ない。文芸ジャンルでは形式が内容をある程度規制する側面があり、17音という韻律で、切断と俳味を旨とする俳句には、言葉と情が横溢する良寛には向いていなかったのだろうと想像する。逆に、自分の趣味嗜好にあまりあっていない俳句という形式で、何を詠んだかというところに興味がいった。

鶯や百人ながら気がつかず
盗人(ぬすびと)にとり残されし窓の月
湯もらへ(ひ)に下駄音高き冬の月
平生の身持(みもち)にほしや風呂上(あが)り

引用一句目は百人一首の歌のなかに鶯を詠ったものがないということを評した機知の句、二句目は無一物の乞食僧である良寛の草庵に盗人が入った時のやりきれない可笑しみを詠った句、三句目、四句目は風呂をわかすのが大変であった江戸期の農村の暮らしのなかで、もらい風呂でほっこりするありがたみと昂揚を詠った句。労働をするでなく、積極的に説法するでもなく、ひょうひょうと食を乞いながら遊行三昧の良寛の逸話を思い起こさせるような味わいの句が目に止まる。漢詩や和歌や長歌のようにその出来栄えに唸るようなことはないのだが、良寛の洒脱な句を詠んだ後には、その軽さにあやかって、風呂に入りながら禅語録などを読みつつ良寛のことを思い返したりしていた。良寛のことを思い浮かべると、日常のなんでもないことが贅沢だと思えてきたりもするので、たいへんありがたい。

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谷川敏朗
1929 - 2009
大愚良寛
1758 - 1831